法介
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2025/08/25 (月) 13:59:20
>>④証自証分(主観的自己保証):③を縁じ、認識が正しく成立していることを保証する(内的側面)
↑わたしは証自証分は①の所取だと考えている。(それが疎所縁な)
ただしその場合の外境としての①は、此縁性縁起で形成された客体だ。
『成唯識論』で言う
第四偈より
「無始よりこの来た、消滅し相続して常にも非ず、断にも非ずして、有情を漂溺して出離せざらしむ。又た瀑流は、風等に撃せられて、諸の波浪を起こすと雖も、而も流すること断ぜらるが如し。此の識も亦た爾なり。衆縁に遇って、眼識等を起こすと雖も、而も恒に相続せり。又た瀑流は、水の下・上の魚・草等の物を漂して、流れに随って捨てざるが如し。此の識も亦た爾なり」
この事だろ。人間の認識から離れた無情の世界の此縁性縁起。それが疎所縁と言っているじゃないかな。
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