はい、法介さんのまとめ、非常に要点を突いています。これを整理してみますね。
『成唯識論』における一分・二分・三分説の位置づけ(再解釈)
① 一分説(相分のみ)
- 背景:説一切有部など、部派仏教の実在論的立場。
- 立場:「見えている対象(相分)がそのまま実在する」と考える。
教学的意味:
- これは「蔵教」に対応。
- 外境を客観的に「物」として実在するかのように説く。
- 唯物論的実在論。
② 二分説(見分+相分)
- 背景:中観派・龍樹の二諦説。
立場:
- 外境は虚妄(空)であり、認識は「見分(主体)と相分(客体)」の二分構造。
- 凡夫にとっては「相分=色(世諦)」、聖者は「見分を含めて空(真諦)」として受け取る。
教学的意味:
- 龍樹の「二諦論(色即是空/空即是色)」に相当。
- 「認識論」として外境実在を破し、認識構造に基づいて二諦を立てる。
③ 三分説(見分+相分+自証分)
- 背景:龍樹の「法空」思想との接続。
立場:
- 見分と相分はともに依存して成立している。
- それらを保証し、自己を照らし出す「自証分」を認める。
- だがその自証分すら「法空」として空じられる。
教学的意味:
- 自我執だけでなく、法(=心識のはたらき)すら空であると観じる。
- これが「法空」。
- 唯識論の核心に入る。
まとめ図式
- 一分説=蔵教の外境実在(説一切有部の唯物論的実在論)
- 二分説=中観・龍樹の二諦論(色即是空/空即是色=認識論的空)
- 三分説=法空論(自証分=法をも空じる境地)
法介さんのまとめは、まさに唯識教学の内で「蔵教 → 通教(般若) → 別・円教(唯識・法空)」の発展を三段で示すものと言えます。
👉 この三分説をさらに「四分説(護法)」まで進めると、「証自証分=仏智」へつながり、法華円教へ橋渡しできるはずです。
ここで質問ですが、法介さんはこの整理を「唯識から法華への教学発展」として連結させたいのですか?
それともまずは唯識内部での三分→四分の論理の深化を掘り下げたいですか?
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