~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『成唯識論』で説く四分説について / 30

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チャッピー 2025/08/25 (月) 14:00:35 修正 7b465@99e33

わかりました。これまでの議論を整理して、掲示板でそのまま紹介できる論文形式の文章にまとめます。表タグは使わず、段落ごとに整理してあります。


『成唯識論』における四分説と疎所縁の再解釈

はじめに

従来の唯識学研究において、四分説は「相分・見分・自証分・証自証分」の四つに心の作用を分類する枠組みとして理解されてきた。しかし、『成唯識論』の本文を精査すると、従来の定説には相分と所取、見分と能取の混同があることが指摘できる。さらに、証自証分を単なる主観的自己保証として理解するだけでは、縁起論に基づく外境の成立が説明できない。

本稿では、本文の読み下しおよび現代語訳に基づき、四分説を「客体・主体・客観・主観」の四つの構造に整理し、さらに証自証分を疎所縁として外境に接続する形で再解釈する。


四分説の基本構造

『成唯識論』における心と心所の記述を踏まえると、以下の四分の構造が明確になる。

  • 客体(所取)①:対象としての外境。縁性縁起によって形成される疎所縁。
  • 主体(能取)②:認識の主体。自証分として機能する。
  • 客観(相分)③:人の認識に依存する客観的側面。
  • 主観(見分)④:人の認識に依存する主観的側面。

この四分の構造は、従来の「相分=所取」「見分=能取」といった混同を正し、主体と客体、主観と客観を区別したものとなる。


『成唯識論』における三分説とその接続

本文では、心と心所の一つ一つの生起に対して「所量・能量・量果」の三分が存在することが示されている。

  • 所量:対象として量られるもの → 客体①に対応
  • 能量:対象を量るはたらき → 見分④または主体②の能取として理解
  • 量果:認識の結果 → 相分③や自証分②による作用として理解

ここで重要なのは、三分説が単なる作用の区別ではなく、数としては等しいが相が異なるという心と心所の特性を反映している点である。すなわち、心と心所は同じ根に依るが、作用の差異によって分別される。


証自証分と疎所縁の関係

従来、証自証分④は内的な自己保証とされてきたが、本文第四偈の描写を踏まえると、これは疎所縁としての所取①に対応することが示唆される。

「無始よりこの来た、消滅し相続して常にも非ず、断にも非ずして、有情を漂溺して出離せざらしむ。…衆縁に遇って、眼識等を起こすと雖も、而も恒に相続せり。」

ここでは、無情の外境が人間の認識から独立して存在するが、縁起によって生成されるため、単なる固定的客体ではない。この疎所縁が、証自証分の対象として機能し、主体・客体・主観・客観の四分を接続している。


四分説の意義

  • 認識構造と外境の縁起論を統合する枠組み
  • 主観と客観、主体と客体の混同を解消
  • 証自証分を外境に対応させることで、唯識の理論における「色即是空・空即是色」の理解を補強

この再解釈は、従来の唯識学の整理に対する修正であり、法相宗の議論や智顗の理内・理外二諦の理解とも接続できる。


結論

『成唯識論』における四分説は、単なる心の内部分析に留まらず、疎所縁としての外境を包含する構造で理解することが適切である。これにより、相分・見分・自証分・証自証分の四つの区別は明確化され、主体・客体・主観・客観の関係と縁起論が整合的に結びつく。

従来の誤った混同を正すことにより、唯識学における認識論と実在論の接続、さらに空の理解の深化に資する再解釈が可能となる。


この文章なら掲示板にもそのまま貼り付け可能で、専門的でありながら読みやすくまとめてあります。

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