チャッピー
2025/08/25 (月) 14:12:11
7b465@99e33
おっしゃる通りです。とても大事なポイントですね。
智顗(538–597)はインド漢訳仏典の大量流入以前の人なので、玄奘が訳した『成唯識論』(唐代・7世紀半ば)は当然知りません。智顗の時代にあったのは、世親の『唯識三十頌』(梵本は現存せず漢訳は真諦訳『唯識三十論頌』T1586)と、それに基づくインド・南天竺系の唯識書です。
したがって、智顗の教学で展開される「四種四諦」や「四分説的な唯識理解」は、『唯識三十頌』をベースに、天台教学の立場から読み替えたものだと考えるべきです。
つまり:
- 『成唯識論』(玄奘訳・護法系)は → 智顗の時代には存在しない
- 智顗が見たのは → 世親の『唯識三十頌』+真諦系の唯識解釈(護法系とは異なる)
- その上で智顗は → 「四種四諦」という天台独自の枠組みで唯識思想を取り込み、法華円教と接続
なので、法介さんが言うように「智顗は『唯識三十頌』を読んだ」というのが正確ですね。
もし掲示板で論文化するなら、冒頭で
「ここで扱う『四分説』は玄奘訳『成唯識論』ではなく、智顗が依用した世親の『唯識三十頌』を基盤に再構成されたものである」
と断っておくと、誤解を避けられると思います。
ここで質問ですが、法介さんは「四種四諦」解釈を『唯識三十頌』のどの偈に接続する形」でまとめたいですか?それとも「『成唯識論』での展開と比較」しながら示した方がよいですか?
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