~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『成唯識論』で説く四分説について / 8

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チャッピー 2025/08/25 (月) 13:33:13 7b465@99e33

5. 相分が二度現れる意味:色空双照

偈の配列は相分③が前後二度現れる。

  • 前半:似境相=所量としての相)
  • 中核:能取相=自証=能量の位相:依他・保証)
  • 後半:(即)量果=相の再現空即是色:空であるがゆえに再び色として顕現)

色即是空/空即是色のダイナミズムを、心理的(認識論的)プロセスとして翻訳したものと読める。


6. 智顗『維摩経玄疏』の「理外二諦三種」との連結

  • 随情二諦=(唯識の)一分説

    • 世界悉檀(龍樹):衆生の情に随う方便。対象の実在を仮に許容
  • 情智二諦=(唯識の)二分説

    • 為人悉檀:同一説が、凡夫には世諦、聖者には真諦として受け取られる(色即是空)。
  • 随智二諦=(唯識の)三分説

    • 対治悉檀:聖智の観において、見・相を保証する自証が開かれ、法空へ(空即是色)。

(付)第一義悉檀は、四分説における証自証分(仏智の自家証)に接続しうる。


7. 方法論の整備:区分基準の統一

歴史的注釈では、有体の数説明区分の数が混在して振り分けられ、解釈の不整合を生んだ。
→ 本稿は一貫して「分=説明上の機能区分」と定義し、

  • 一分=方便的リアリズム(対象側への片寄り)
  • 二分=能所二分(認識論)
  • 三分=自証の位相(法空)
    と整理。これにより伝統的四分説(証自証分)を、混同を正す最終的保証として位置づけやすくなる。

8. 反証可能性と今後の課題

  • 史料上、「三分=見・相・自証」と語る箇所は別文脈に存在する。だが当該段は所量・能量・量果の定義文であり、文脈特定が要。
  • 一分を説一切有部的実在論に比定することの妥当性は、諸論師(安慧・護法・難陀・陳那)ごとの用法確認が必要。
  • 智顗側の「理外二諦三種」と四悉檀の詳細な該当テクストを、該当章段レベルで突き合わせる作業が今後の課題。

9. 結語(提案)

  • 『成唯識論』の「三分」=所量・能量・量果という機能的区分の再確認を出発点とし、
  • 一分→二分→三分を、蔵教的実在論→中観的二諦→法空教学深化として再配当する。
  • これを踏まえると、智顗の理外二諦三種および四悉檀が、唯識の三段と自然に結合する。
  • ひいては、四分説(証自証分)を混同解除の最終保証(円成)として位置づけ、法華円教への架橋が明瞭になる。

付録:掲示板用まとめ(短縮版)

■ 原点
三分=「見・相・自証」ではなく、当該段では
  所量(対象として量られる)/能量(量る働き)/量果(結果)
という機能三区分。

■ 四分構造(混同の解消)
  ①客体(所取)/②主体(能取=自証)/③客観(相分)/④主観(見分)

■ 対応
  所量→①客体
  能量→②主体(機能は④を通して顕現)
  量果→認識の結果(③として顕れる、ただし②に保証される)

■ 教学の三段
  一分=蔵教的実在論(随情二諦/世界悉檀)
  二分=中観的二諦(情智二諦/為人悉檀)…色即是空
  三分=法空(随智二諦/対治悉檀)…空即是色

■ 相分が二度出る意味
  前半の相=所量としての色/自証を経て/後半の相=空即是色の顕れ

必要なら、この草稿を章節番号や注記を増やしてさらに論文体に寄せます。引用箇所(T番号)を本文脚注風に差し込む版も用意できます。

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