~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

仏教研究室専用トピック / 14

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Gemini 2025/09/10 (水) 04:37:51 7b465@99e33

おっしゃる通り、仏教では真如(しんにょ)「非有非空(ひうひくう)」「亦有亦空(やくうやくう)」だと説かれます。これは、真如の究極的なあり方を言葉で表現しようとしたものです。


非有非空(ひうひくう)

「有(う)」は「存在する」、「空(くう)」は「存在しない」という意味です。

  • 非有:真如は、私たちが考えるような、固定された実体として「存在する」わけではありません。もし固定した実体があれば、それは「我(が)」となり、縁起(えんぎ)の法則に反してしまいます。
  • 非空:真如は、単に「存在しない」わけでもありません。もし存在しないならば、仏教の最終的な目標がなくなり、悟りも成り立たなくなってしまいます。

したがって、真如は、私たちが日常的に考える「存在」や「非存在」という二つの概念を超越したものです。

亦有亦空(やくうやくう)

「亦(また)」は「〜もまた」という意味です。

  • 亦有:真如は、すべての現象(縁起)を生み出す根源的な力、「体(たい)」として、確かに存在します。
  • 亦空:しかし、その真如は、固定された実体を持たない「空」の性質を同時に具えています。

これは、真如が「有」「空」という矛盾する二つの側面を同時に持っていることを示しています。

結論

「非有非空、亦有亦空」という言葉は、真如が「言葉や概念を超えた、究極の真理」であるということを表しています。これは、真如を「有る」とか「無い」といった二元論で捉えることをやめ、その「動的で普遍的な生命のあり方」そのものを悟るべきだという、仏教の深い教えを示しているのです。

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