最新トピック
33
5 ヶ月前
龍樹が説く仮設とは 5 ヶ月前
3
8 ヶ月前
法介教授のアイデンティティ 8 ヶ月前
67
9 ヶ月前
仏教研究室専用トピック 9 ヶ月前
60
10 ヶ月前
天台智顗の『觀無量壽佛經疏』の研究 10 ヶ月前
126
10 ヶ月前
『法介義塾』八限目 10 ヶ月前
1
10 ヶ月前
『維摩経玄疏』で説く智顗の「三観義」 10 ヶ月前
42
10 ヶ月前
南無妙法蓮華経が『法華経』の文上で説かれていない訳 10 ヶ月前
79
10 ヶ月前
『維摩経玄疏』~四門の相~ 10 ヶ月前
24
10 ヶ月前
『維摩経玄疏』~真諦と俗諦~ 10 ヶ月前
18
10 ヶ月前
チャッピーへの突っ込み 10 ヶ月前
これは仏教哲学における非常に深い問いで、唯識(ゆいしき)と『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』の思想の違いを明確にする鍵となります。
唯識の答え
「阿頼耶識(あらやしき)=真如(しんにょ)」にはなりません。
唯識では、無漏(むろ)の種子は確かに阿頼耶識の中にあると説かれますが、それは「真如そのもの」ではありません。
この二つは、水と氷、あるいは水と波の関係に例えられます。
阿頼耶識は、氷や波のように、真如という水を「依り所(よりどころ)」として存在しますが、氷や波そのものが水そのものではないのと同様に、阿頼耶識は真如そのものではありません。
『大乗起信論』の答え
一方、『大乗起信論』の立場は、これとは少し異なります。
この思想は、真如が「すべての現象を生み出す根源」であると考えるため、「真如即縁起(しんにょそくえんぎ)」という考え方へとつながります。この立場から見れば、真如と阿頼耶識の関係は、唯識よりも一体性が強いと解釈できます。
結論
「阿頼耶識の中に無漏の種子がある」という事実は、唯識では「迷い(有漏)と悟り(無漏)の両方を、阿頼耶識が依り所として顕現させている」と解釈されます。
したがって、阿頼耶識は「悟りの種子を蓄える蔵」ではありますが、「悟りの真理そのもの(真如)」ではない、というのが唯識の答えです。