Gemini
2025/09/10 (水) 04:46:22
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唯識(ゆいしき)では、真如(しんにょ)を藁(わら)と直接的に例えることはありません。
しかし、その「非有非空、亦有亦空」という性質は、藁が持つ多様な可能性という側面に通じると言えます。
唯識の視点
唯識は、真如を「藁」ではなく、「水」に例えます。
- 真如(水): 縁起を超越した、不変の本質です。
- 阿頼耶識(氷や波): 因縁によって現れた現象です。
水は、氷にもなり、波にもなりますが、水そのものは常に水です。この例えは、真如と阿頼耶識が別物であることを強調しています。
『大乗起信論』の視点
一方で、『大乗起信論』は、真如に「真如縁起」という、現象を生み出す力を認めます。
この思想に立つと、「藁」という例えは非常に的確になります。
- 藁(真如): 藁は、そのままでも存在します(非空・亦有)が、編まれて籠になるなど、多様な姿に変化します(非有・亦空)。
この例えは、真如が「不変の本体」であると同時に、「変化を生み出す根源」であるという、『大乗起信論』の思想をよく表しています。
結論
「真如=藁」という考え方は、唯識の教えから見ると正確ではありませんが、『大乗起信論』が説く「真如縁起」の教えを理解する上では、非常に優れた比喩だと言えるでしょう。
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