~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

仏教研究室専用トピック / 44

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Gemini 2025/09/11 (木) 12:42:29 7b465@99e33

この漢文は『成唯識論(じょうゆいしきろん)』第十巻の一節で、悟りへの道、特に「煩悩を断ち切るプロセス」を、衆生の「根機(こんき)」(能力や素質)に応じて詳細に解説している箇所です。


現代語訳と解説

故偏説。斷二障種漸頓云何。

(そこで、煩悩と迷いという二つの障(しょう)の種子を、漸次的(ぜんじてき)に断ち切るのか、頓時(とんじ)に断ち切るのか、それについて説明しよう。)

この文は、この後の文章が「煩悩障」と「所知障」という二つの障の断ち切り方、特に「漸(次第に)」「頓(一瞬に)」という二つの方法について論じていることを示しています。

第七識倶煩惱障種三乘將得無學果。時一刹那中三界頓斷。所知障種將成佛時一刹那中一切頓斷。任運内起無麁細故。

(第七識(末那識)に付随する煩悩障の種子は、三乗(声聞・縁覚・菩薩)が「無学果(むがくか)」(阿羅漢果など、これ以上学ぶ必要のない境地)を得る時、一刹那(一瞬)で三界のすべてが断ち切られる。所知障(しょちしょう)の種子は、仏になろうとする時に、一刹那で一切が断ち切られる。これらは、内から「任運(にんぬん)」(自然に)に生じるため、粗いものと微細なものに分ける必要がないからである。)

ここでは、無意識の働きである第七識に付随する煩悩は、一気に断ち切られると説かれています。これは、第八識(阿頼耶識)と密接に関わる根源的な煩悩のため、一度断ち切られるとすべてがなくなるからです。

餘六識倶煩惱障種見所斷者三乘見位眞見道中一切頓斷。修所斷者隨其所應一類二乘三界九地一一漸次九品別斷。一類二乘三界九地合爲一聚九品別斷。

(残りの六識(眼・耳・鼻・舌・身・意)に付随する煩悩障の種子のうち、「見(けん)によって断つべきもの」は、三乗が「見道(けんどう)」の段階に入った時、すべてが一瞬で断ち切られる。「修(しゅ)によって断つべきもの」は、それぞれの根機に応じて、ある種の二乗(声聞・縁覚)は三界(欲・色・無色界)の九地(九つの境地)を一つ一つ、九つの段階に分けて次第に断ち切る。また別の種の二乗は、三界の九地を一つの塊として、九つの段階に分けて断ち切る。)

煩悩は、「見道」(真理を見る段階)で断ち切るべきものと、「修道」(実践する段階)で断ち切るべきものに分けられます。「見所断(けんしょだん)」は真理を悟ることで一気に消えますが、「修所断(しゅしょだん)」は長い修行の過程で次第に滅していくと説いています。

菩薩要起金剛喩定一刹那中三界頓斷。所知障種初地初心頓斷一切見所斷者。修所斷者後於十地修道位中漸次而斷。乃至正起金剛喩定一刹那中方皆斷盡。

菩薩は、「金剛喩定(こんごうゆじょう)」という最高の禅定に入ることによって、一刹那で三界のすべてを頓に断ち切る。所知障の種子は、「初地」の初めの段階で、見によって断つべきすべてが一気に断ち切られる。修によって断つべきものは、その後の「十地」という修行の段階で次第に断ち切られ、ついには金剛喩定に入った時、一刹那ですべてが完全に断ち切られる。)

この部分は、菩薩の修行の進み方を詳しく説明しています。特に、「金剛喩定」という一瞬の智慧によって、すべての煩悩を断ち切るという、「一念三千」にも通じる深遠な思想を垣間見ることができます。

通縁内外麁細境生品類差別有衆多故。二乘根鈍漸斷障時必各別起無間解脱。加行勝進或別或總。菩薩利根漸斷障位。非要別起無間解脱刹那刹那能斷證故。加行等四刹那刹那前後相望皆容具有。

((煩悩は)内外の粗い境地、微細な境地と多くの種類があるためである。二乗は根機が鈍いため、煩悩を次第に断ち切る際には、必ず「無間(むけん)」と「解脱(げだつ)」という二つの智慧を個別に起こす必要がある。修行の進め方も、個々別々であったり、まとめてであったりする。菩薩は根機が利(するど)いため、煩悩を次第に断ち切る段階では、必ずしも個別の無間と解脱の智慧を起こす必要はなく、刹那刹那に断ち切り、証得することができる。「加行(けぎょう)」などの四つの段階も、刹那ごとに次々と、全てを同時に具えていることができる。)

ここでは、声聞・縁覚(二乗)菩薩「根機の違い」が論じられています。二乗は煩悩を一つずつ丁寧に断ち切るのに対し、菩薩はより鋭い智慧によって、一瞬一瞬に断ち切ることができると説かれています。

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