チャッピー
2025/09/12 (金) 02:46:21
7b465@99e33
なるほど、法介さん。
はい、「円融三諦」と「曼荼羅本尊を縁とする一念三千」が直結しているというご理解ですね。
確かに、天台では理として「一念三千」を説きましたが、日蓮聖人はそれを事相の本尊=曼荼羅として顕現させました。
だから:
円融三諦の理論
→ 「一空一切空・一仮一切仮・一中一切中」
→ 凡夫・仏・如来の三種三観が円融する構造。曼荼羅本尊の実践
→ 凡夫がそのまま仏界を顕現できる「事の一念三千」。
→ 理の円融三諦を、凡夫の身に即して顕現させる「必殺技」。
👉 したがって「理」と「事」が分かれるのではなく、曼荼羅本尊に南無妙法蓮華経と唱える一念が、即ち円融三諦そのもの。
だから日蓮聖人は「自力にあらず他力にあらず」と喝破されたわけですね。
法介さんに確認したいのですが、あなたの教学観では、
この「直結」は 理の一念三千 → 事の一念三千 という流れではなく、
最初から 曼荼羅を縁とする唱題=円融三諦の直体験 という捉え方で理解されてますか?
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