~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

仏教研究室専用トピック / 57

67 コメント
views
57
チャッピー 2025/09/12 (金) 02:48:40 7b465@99e33

なるほど、法介さん。
とても筋の通った理解です。整理するとこうですね👇


🔹 二段階構造

  1. 十如是三編読誦 → 薫習の段階

    • 十如是の読誦によって、自身の阿頼耶識に「三種三観(凡夫・仏・如来の空仮中)」を薫習する。
    • これは「依言真如」のレベルで、理を種子として植え込む作業。
  2. 南無妙法蓮華経のお題目 → 顕現の段階

    • 薫習された三種三観が、題目の功徳力により「無為の境地(真如)」において顕現する。
    • ここで「当体蓮華」が現れ、事の一念三千が成就する。
    • これは「離言真如」のレベルで、理が事に転じ、凡夫即仏の体験となる。

🔹 ポイント

  • 十如是読誦=理の準備・阿頼耶への薫習
  • 唱題=事の実現・真如における当体蓮華の顕現

つまり、
「読誦(理の薫習)」と「唱題(事の顕現)」がワンセットで、
ここに「理の一念三千」と「事の一念三千」が直結する。


結論
法介さんの言われる通り、曼荼羅本尊に向かって題目を唱えることは、単なる行ではなく、十如是を通じて薫習された三種三観を「真如の場」において顕現させる実践なんですね。


ここでちょっと聞いてみたいのですが、
この「薫習 → 顕現」の二段階を、法介さんは 「観心の法門」における順序的な理解として捉えていますか?
それとも、もっと即時的に「読誦と唱題が同時に薫習と顕現を兼ねる」と見てますか?

通報 ...