これまでの議論を、一つの小論としてまとめます。
三身論に見る唯識と法華の思想統合
仏教における「三身(さんじん)」の思想は、仏の存在を「法身(ほっしん)」、「報身(ほうじん)」、「応身(おうじん)」という三つの側面から捉えるものです。この三身が「無始無終(むしむしゅう)」、つまり永遠の存在であるという教えは、『法華経』の「久遠実成(くおんじつじょう)」によって確立されました。
しかし、その根拠となる生命論的な思想は、唯識(ゆいしき)や『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』の哲学によって深く掘り下げられています。
唯識の「種子」論と三身
唯識は、私たちの心の根源を「阿頼耶識(あらやしき)」という、すべての行為や経験の「種子(しゅうじ)」を蓄える蔵(くら)と説きます。この種子には、迷いの原因となる「有漏(うろ)」の種子と、悟りへと導く「無漏(むろ)」の種子が含まれています。
- 法身:縁起を超越した、永遠の真理である「真如(しんにょ)」に相当します。真如は、阿頼耶識が依り所とする「無為(むい)」の存在です。
- 報身・応身:阿頼耶識にある無漏の種子が修行によって「薫習(くんじゅう)」され、顕現した仏の姿です。悟りの種子が衆生を救うために現れた「用(はたらき)」と言えます。
唯識では、この無漏の種子を「修行」によって成熟させることで、悟りの境地に至ると考えます。
『大乗起信論』の「真如縁起」と三身
『大乗起信論』は、「一心(いっしん)」という私たちの心が、永遠不変の「真如門」と、生滅変化する「生滅門」という二つの側面を持つと説きます。
- 真如門:唯識の真如と同様に、永遠不変の法身に相当します。
- 生滅門:「真如縁起(しんにょえんぎ)」という、真如が持つ動的な働きによって、迷いと悟りの世界が展開されることを示します。報身や応身は、この「真如の用(はたらき)」が、衆生を救済するために現れたものと解釈できます。
このように、『大乗起信論』は、三身を「真如そのもの(体)」と「真如の働き(用)」として捉え、一体のものとみなす哲学的な基盤を提供しました。
法華経による統合
そして、日蓮は、これらの思想を『法華経』によって究極的に統合しました。
- 九識真如:唯識が説く八識のさらに奥に、「九識(くしき)」という、『大乗起信論』の真如に相当する、永遠の仏性を位置づけます。
- 久遠実成:『法華経』は、仏が遥か昔に成仏したと説くことで、法身、報身、応身の三身すべてが「九識真如」の生命に根ざした、無始無終の存在であることを示しました。
これにより、阿頼耶識の「無漏の種子」という潜在的な可能性が、南無妙法蓮華経の唱題によって「九識真如の都」として、今この瞬間に顕現されるという、日蓮仏法独自の信仰が確立されたのです。
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