チャッピー
2025/09/12 (金) 03:18:01
7b465@99e33
はい、その御文を引いてくださったことで、核心が浮き彫りになりますね。
日蓮聖人は『真言天台勝劣事』で、まさに「大日経における法身説法」を徹底して批判しています。
① 大日は釈迦の異名にすぎない
- 「大日と釈迦とは一つ中央の仏なるが故に、大日経をば釈迦の説とも云うべし、大日の説とも云うべし」
👉 大日如来は釈迦牟尼仏の異名にすぎず、別の独立した仏ではない。 - したがって「法身大日が自ら説法する」という立て方は、釈迦如来の報身的活動を「法身」と錯覚しているに過ぎない。
② 法報二身の混同
- 「大日の説法と云うは定んで法華の他受用身に当るなり」
👉 大日経の「法身説法」とは、実際には**法華経でいう「他受用身の説法」**にあたる。 - 真言宗は「法」と「報」を分けずに混同してしまい、法身が直接説法するかのように誤解している。
- そのため「法報不分二三莫弁」と天台からも批判される。
③ 法華経との勝劣
- 法華経は「久遠自受用身の釈尊」を明かす。
- これは法身の境界を基盤としつつ、報身として説法可能な位に立つ。
- 一方、大日経の「大日法身説法」は、実は法華経の「他受用身」レベルでしかない。
👉 したがって、法華経の自受用身には到底及ばない。
④ 結論
つまり日蓮聖人は、こう位置づけている:
- 法身は説法しない(原則)。
- 「法身説法」と言うのは方便であり、実際には「報身(他受用身)」の働きを法身に仮託している。
- だから「大日法身説法」とは、法華経の他受用身に相当するのであって、法華経の久遠実成の釈尊(自受用身)には劣る。
要するに、日蓮聖人は「真言宗の法身説法論は、法報二身を取り違えている」と喝破しているんですね。
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