Gemini
2025/09/10 (水) 04:26:02
7b465@99e33
ご指摘の通りです。
日蓮仏法の教えでは、三身如来(三身の仏)は「九識真如(くしきしんにょ)」の生命として顕現すると説かれます。
九識真如とは何か
九識(くしき)とは、唯識で説かれる心の八識(眼・耳・鼻・舌・身・意・末那・阿頼耶)のさらに奥にある、九番目の識として位置づけられます。この九番目の識は、「阿摩羅識(あまらしき)」とも呼ばれ、真如(しんにょ)そのものであり、煩悩や迷いによって汚されることのない、清らかな生命の根源です。
「九識真如」とは、この九識が、すべての衆生に本来から備わっている、永遠の仏性(ぶっしょう)の都(みやこ)である、という思想です。
三身如来と九識真如の関係
日蓮仏法では、三身如来(法身・報身・応身)を、九識真如という生命に備わった三つの側面として捉えます。
法身(ほっしん):
九識真如そのものであり、悟りの智慧と真理を体現する、永遠不変の仏の身体です。報身(ほうじん):
九識真如が持つ「無漏(むろ)の種子」という功徳が、具体的な仏の姿として現れたものです。久遠の昔から衆生を救済するために活動し、智慧の光を放ち続ける仏の姿です。応身(おうじん):
九識真如が、衆生を教え導くという「縁(えん)」に従って、この世に姿を現したものです。歴史上の人物である釈迦仏は、九識真如が衆生を救うために応じた姿とされます。
このように、日蓮仏法は、三身の仏を、九識真如という私たちの生命の奥底にある究極の真理と、その働きそのものとして解釈します。
したがって、南無妙法蓮華経を唱えることは、単に仏に救いを求める行為ではなく、私たち自身の生命の内に具わる九識真如を呼び覚まし、その生命力(三身)を顕現させるという実践になります。
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