~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

天台智顗の『觀無量壽佛經疏』の研究 / 24

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法介 2025/05/25 (日) 06:08:06

もちろんです。『觀無量壽佛經疏』の続きの現代語訳を以下にお届けします。


【原文】

然報佛境深不易見。像觀心熟方證斯理。

【現代語訳】

ただし、「報身の仏」の境地は非常に深遠で、たやすく見ることはできない。
しかし仏像を観じる修行を繰り返し、心が熟していけば、この深い理(=報身)を体得できるようになる。


【原文】

故觀經云:見彼佛者。即見十方一切佛也。

【現代語訳】

そのため『観無量寿経』では、「阿弥陀仏を観る者は、すなわち十方すべての仏を見るのと同じである」と説いている。


【原文】

故應知觀彌陀佛。非止彼佛而已。

【現代語訳】

したがって私たちは理解すべきである。阿弥陀仏を観じることは、ただ一仏(阿弥陀仏)のみを観ることにとどまらず、


【原文】

亦通十方三世諸佛也。

【現代語訳】

同時に、十方世界の三世(過去・現在・未来)にわたるすべての仏を観じることにも通じている、ということである。


【原文】

是故念佛觀佛。必得生淨佛國。

【現代語訳】

このように「念仏し仏を観じる」ならば、必ずや清浄な仏国土(極楽浄土)に生まれることができる。


【原文】

若觀心淨。則國土淨。

【現代語訳】

もし観じる心が清浄であれば、そのまま自身の境遇として現れる国土もまた清浄となる。


【原文】

經云:若人欲識佛境界。當淨其意如虛空。

【現代語訳】

経にいわく、「もし人が仏の境地を知りたいと願うならば、まずその心を虚空(こくう)のように清らかにせねばならない」と。


ここまでが次の節目となる内容です。まだ続きがありますので、ご希望であれば「さらに続きをお願いします」とお知らせください。

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