~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

天台智顗の『觀無量壽佛經疏』の研究 / 25

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法介 2025/05/25 (日) 06:08:30

はい、続きを訳します。


【原文】

十六觀云:觀身為肉髻。觀肉髻為佛身。觀佛身為法身。觀法身為實相。實相無生無滅。亦無來去。

【現代語訳】

『十六観』に言う。
「まず自分の身体を肉髻(にくけい:阿弥陀仏の頭の肉髻)と観じ、
その肉髻を仏身と観じ、
仏身を法身と観じ、
法身を実相(真実のあり方)と観じなさい。
実相は生まれることも滅することもなく、また来ることも去ることもない。」


【原文】

是故觀佛者。初觀身乃至實相。皆以實相為本。

【現代語訳】

このため、仏を観じる者は、まず身体から実相に至るまで、すべて実相を本(もと)として観じるのである。


【原文】

若不以實相爲本。則雖有像猶非佛。

【現代語訳】

もし実相を本としなければ、たとえ仏の像を見ても、それは真の仏とは言えない。


【原文】

故知觀佛不可著形相。當以心觀。

【現代語訳】

したがって、仏を観じる際は形相(かたち・外見)にとらわれてはいけない。
心の目で観じるべきである。


【原文】

一切衆生皆有佛性。以心淨故。

【現代語訳】

すべての衆生は仏性を持っているのは、心が清浄だからである。


【原文】

心淨則佛現。心染則佛隱。

【現代語訳】

心が清浄ならば仏は現れ、心が汚れていれば仏は隠れてしまう。


ここまでで一区切りの部分です。続きもご希望でしたらお知らせください。

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