法介
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2025/05/25 (日) 06:23:01
次に、「用」の説明。
- 「用」とは力のこと。
- 善を生じ、悪を滅するのが経の力(用)である。
- 悪を滅するので「力」といい、善を生じるので「用」という。
- 悪を滅するので「功」といい、善を生じるので「徳」という。
これらは偏った表現であり、完全なものを述べるには全て揃っている必要がある。
苦は悪い結果であり、貪・瞋・癡(貪欲・怒り・無知)が悪い原因である。
- 悪因を除かなければ、結果も消えない。
- したがって、この経は五逆の罪を滅し、浄土へ往生させる力がある。
- これがこの経の大きな力(大力用)である。
教相(教えの特徴)は、大乗の方便を含み、様々な機根に応じて説かれる。
- 大本二巻は晋の永嘉年間に竺法護が訳したもの。
- 別の本は宋の元嘉年間に僧肇が揚州で訳したもの。
- 両経は王舎城で説かれた。
小本「阿弥陀経」は舎衛国で説かれ、阿弥陀は無量寿である。
- 方言の違いがあるが、二蔵(経蔵・律蔵)に明義菩薩蔵に収録されている。
- 漸次・頓悟の教えがあり、韋提希(王舎城の侍女)や諸侍女に説かれたもので、彼らは凡夫で小果(小さな悟り)を得ていない。
- だからこの教えは頓悟(急に悟る)であり、漸入(段階的進入)ではない。
- 題は仏説となっているが、実際は弟子や仙人・天人が説いたものもある。
教えは三部分に分かれる。
- 序(はじめ)、正流通(正しい伝え方)、清浄業処(浄土)。
- 世尊が眉間から光を放ち、天たちが無上の道心を発した。
- 阿難が仏に「これを何と名づけるか」と尋ねる。
経の流通(伝播)も序に含まれ、証信・発起・正説の段階に分かれる。
浄業・妙観・流通も二段階に分かれる。
王宮や鷲山で証信の序が説かれ、
仏が正しく化主(教化の主)を明らかにし、王城論住処で聴衆に説いた。
これらは「諸法の実相は古今変わらず、『如如』(ありのまま)と名づけられる」と述べる。
「我聞く」とは異外道(異教)を否定し、自在の義を示し、すべての法は空であり無我であることを示す。
要点としては、
- 常寂光土の性質
- 経の力(悪を滅し善を生む)
- 教えの構成と歴史的背景
- 実相(如如)と無我の説法の確立
が中心に述べられています。
もしさらに詳しい説明や、特定の用語の解説が必要なら言ってくださいね。
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