法介
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2025/05/25 (日) 06:25:32
>> 16の【現代語訳】
はい、この部分の現代語訳とポイントをまとめます。
現代語訳(要約)
声聞の最初は「標位」(最初の境地)であり、次に「列数」(弟子たちの数)が続く。これをなぜ称賛しないのか。決して徳がないわけではない。訳経者が簡略に伝えているが、その意味は同じである。
一つの場所、一つの時、一つの心、一つの戒、一つの道、一つの見解、一つの解脱など、すべて一つだから「共(とも)」と名付けられる。
今回の経典は阿難と多くの大衆とともに聞いたゆえに「共聞」と言う。
大義には三つある。
- 「大多勝(たいだしょう)」:大きくて多く勝れている。天王や大人に尊敬されているから「大」と称す。
- 「多」:内外の経典をよく解しているから「多」と呼ぶ。95種類の中で最高のものを「勝」とする。これらはすべて無学(学び終えた者)であり、小乗の中で最高であるから「大」と言う。
- 「比丘」:因果六義に基づき、乞士(求道者)・怖魔(悪霊を怖がらせる者)・破悪(悪を破る者)の意味を持つ。果位は「応供」「殺賊」「無生」とされる。
『釈論』の淨目問舍利弗の話では、乞士は四種の食を受けるが、比丘はこれらを作らず、清浄な乞士である。
怖魔とは、修行者が出家すると地行夜叉や空中を飛ぶ者までが怖がること。
破悪は煩悩の98種を断ち切ることを指す。
「衆」とは4人以上の集団であり、羯磨(僧団の結集)で調和し諍いがない状態が「和合衆(わごうしゅう)」である。
僧の四種分類:
- 羞僧(戒を持ち違えない)
- 無羞僧(戒を持たず善悪も分けない)
- 無知僧(戒は破らずも争いで判断がつかず沈黙)
- 眞実僧(学び終えた者)
現代の二つの僧は羯磨を共にしているが、取るのは無学者のみである。
1250人の数は弟子の数の列挙。迦葉、舍利弗らは250人ずつを率いる。
彼らは最初は火の中に入り邪見を破り苦労し、やっと仏に会い悟りを得て感謝し、常に仏に従った。
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