~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

天台智顗の『觀無量壽佛經疏』の研究 / 35

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法介 2025/09/07 (日) 09:27:39

重複するが以下はGeminiによる解説である。

T1750.37.0191b25: 由。次一問答。明爲未來衆生請見土 から
T1750
.37.0191c14: 報。後三明三輩九品往生也 まで

ご提示いただいた漢文は、『観無量寿経』に関する注釈書の一部で、善導大師(ぜんどうだいし)の『観無量寿経疏』からの引用と思われます。この漢文を現代語に訳して、その意味を解説します。


現代語訳

>(この文章は)次の問答によって、未来の衆生が浄土を見ることのできる方法を明らかにしている。

>「汝は凡夫である」という言葉は、その身分が凡夫であり、遠くを見ることができないことを示している。韋提希(いだいけ)は実は大菩薩であるが、この会座では無生忍(むしょうにん)という悟りを得ていたにもかかわらず、凡夫の姿を示している。心も弱く劣っており、天眼通も得ていなかったため、遠くの浄土を見ることができなかった。しかし、仏は特別な方便によって、あなたに浄土を見ることができるようにした。

>その特別な方便とは、十六観のことである。単に十六観という観想の名前が方便なのではない。仏の力によってあの極楽浄土を見ることができたこともまた方便なのである。

>韋提希が仏に「私が今見るように」と申し上げたのは、仏が滅した後の衆生のために浄土を見せてほしいとお願いしたのである。

>「濁」とは、五濁(ごじょく)(劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁)のことである。「不善」とは十不善(十悪)のことである。「五苦」とは、五つの道(五道)が安楽ではないため五つの苦と言ったのかもしれない。あるいは五悪、五痛、五焼を指すのかもしれない。五悪とは、殺生、盗み、邪淫、嘘、飲酒のことで、大経(『無量寿経』)に説かれている。現世で災難や王法(国家の法律)による刑罰を受けるのが五痛である。来世で三悪道(地獄、餓鬼、畜生)に堕ちて苦しむのが五焼である。

>「どうして阿弥陀仏の極楽国土を見ることができるか」という問いが、仏に浄土を見せてほしいという正式な問いかけである。

>その問いに対する答えとして、十六の観法が説かれている。
>1. 日が沈む様子を観る日想観。
>2. 水の清らかさを観る水想観。
>3. 地面を観る地想観。
>4. 宝の木々を観る樹想観。
>5. 宝の池を観る宝池想観。
>6. 極楽の全体を観る総観。
>7. 仏の蓮華の座を観る華座観。
>8. 阿弥陀仏と菩薩の像を観る像想観。
>9. 阿弥陀仏のお姿を観る仏身観。
>10. 観音菩薩のお姿を観る観音観。
>11. 勢至菩薩のお姿を観る勢至観。
>12. 念仏によって浄土に往生する人々を観る普往生観。
>13. 阿弥陀仏と観音・勢至が共にいる姿を観る雑明仏菩薩観。
>14. 上品上生など三つの上品往生を観る上品生観。
>15. 中品往生を観る中品生観。
>16. 下品往生を観る下品生観。

>この十六観は、三つの部分に分けられる。最初の六つの観は極楽国土という環境(依報)を観想する。次の七つの観は仏や菩薩という存在(正報)を観想する。最後の三つは往生の三つの段階(三輩九品)を明らかにしている。

解説

この文章は、『観無量寿経』が説く十六観の教えを、非常に簡潔に解説しています。

  • 十六観の目的:

    • この教えは、仏の滅後に生まれる凡夫が、特別な「方便(ほうべん)」(衆生を悟りに導くための手立て)によって、肉眼では見ることのできない極楽浄土を心の中に観想するためのものです。
    • 十六観は、瞑想(観想)を通じて心を清め、段階的に極楽浄土の様子を鮮明にイメージすることで、最終的に阿弥陀仏と対面し、往生を遂げることを目指します。
  • なぜ方便が必要か:

    • 『観無量寿経』の主人公である韋提希(いだいけ)夫人は、実は悟りを開いた大菩薩でしたが、ここでは五濁悪世(ごじょくあくせ)に生きる私たち凡夫の代表として登場します。
    • 凡夫は、肉眼や思考の力だけでは、浄土の真実の姿を見ることはできません。そこで仏は、凡夫の能力に合わせて、順を追って浄土を観想する「十六の特別な方法」を説いたのです。
  • 十六観の内容:

    • 十六観は、「極楽浄土の環境(依報)」「そこに住む仏や菩薩(正報)」「往生する人々の姿(三輩九品)」という三つのグループに分かれています。
    • これらの観想を実践することで、私たちの心は浄土と感応し、煩悩が消滅して、往生へと導かれます。

この文章は、十六観という観想法が、凡夫を救うための具体的な手段として説かれたものであることを、明確に示しているのです。

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