~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

天台智顗の『觀無量壽佛經疏』の研究 / 38

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法介 2025/09/07 (日) 09:30:33

T1750.37.0192a21: 第七明佛身中有四。第一佛告下。勅聽許説。 から
T1750
.37.0192b24: 之時心與定合。故云與修多羅合也

ご提示いただいた漢文は、前回に引き続き善導大師(ぜんどうたいし)の『観無量寿経疏』の一部で、十六観のうち、特に仏や菩薩の姿を観想する「正報(しょうほう)」の観想について詳細に解説しています。


現代語訳と解説:第七観と第八観

第七観 華座観・像観など(明佛身)

「第七 明佛身、文有四」
第七の仏身観には、四つの部分がある。

  1. 「佛告下、勅聽許説」: 仏が(韋提希に)「聞きなさい、説くことを許す」と命じ、説法が始まる。
  2. 「説是語時下、明佛現身相」: 仏がこの言葉を説いた時、仏の真実の姿が現れる。
  3. 「時韋提下、為未来請」: その時、韋提希夫人が未来の衆生のために(浄土を見せてほしいと)お願いする。
  4. 「佛告下、酬請広明佛身。五種観門」: 仏が韋提希の願いに応え、仏の身体について詳しく説かれる。ここには五つの観想の門(観法)がある。
    • 蓮華の座を観る華座観
    • 仏の像を観る像想観
    • 仏の身体そのものを観る仏身観
    • 観音菩薩を観る観音観
    • 勢至菩薩を観る勢至観

「初華座中有五」
最初の華座観には五つの部分がある。

  1. 座がどのようにしてできたか、そのありさまを説く。
  2. 座にある「一一(ひとつひとつ)の金色」が、衆生の機根に応じて利益を与えることを説く。
  3. 「是為華想下」で観想を締めくくる。
  4. 「阿難、如此華下」で、その蓮華が阿弥陀仏の願いの力(願力)によってできたことを説く。
  5. 「若欲念彼佛下」で、未来の衆生がこの観想を行うことの利益を明らかにする。

第八観 像想観

「第八 明像想、文有三」
第八の像想観には三つの部分がある。

  1. 「汎明諸佛法身自在、従心想生」: 仏の法身(ほっしん)が自由自在であり、衆生の心から想いによって生まれることを広く説く。
  2. 「是故応当下、遍観彼弥陀、并示観行」: 「それゆえに、まさに…」という箇所から、阿弥陀仏のお姿を隅々まで観想するべきことを教え、その観想の方法を示す。
  3. 「作是観者下、明修観獲利也」: この観想を行う者は、その修行によって利益を得ることを明らかにする。

「法界身者、報佛法性身也」
法界身とは、仏の報身(ほうしん)であり、法性(真理そのもの)から成る身のことである。

「衆生心浄、法身自在」
衆生の心が清らかになれば、仏の法身は自由自在に現れる。

「故言入衆生心想中」
だから、仏は衆生の心の中に入ってくると説かれている。

「如似白日昇天影現百川」
例えるならば、昼間の太陽が空に昇れば、その影が多くの川に現れるようなものである。

「是心作佛、是心是佛」
この「是心作佛(これしんさぶつ)」と「是心是佛(これしんしぶつ)」という言葉は、観想によって仏となるプロセスを説明している。

  • 是心作佛:「心によって仏を造る」という言葉は、修行を始めた段階を指す。心が清らかになれば、仏が現れるということを意味している。
  • 是心是佛:「心は仏である」という言葉は、修行が完成した段階を指す。この段階では、心と仏が一つであり、心以外に仏は存在しないことを意味する。

「始学名作、終成即是佛」
仏道を学び始めた段階を「作仏」といい、最終的に完成した時が「是仏」である。

「正遍知海従心想生者」
仏の広大な智慧(正遍知)の海も、衆生の心から想いによって生まれる。心が清らかになれば仏が現れるので、このように言われる。

全体のまとめ

この文章は、最初の六観が極楽浄土という「環境」を観想したのに対し、第七観と第八観が「仏という存在」を観想する段階へと進んでいることを示しています。

特に重要なのは、第八観で説かれる「是心作佛、是心是佛」という概念です。これは、浄土の仏が外界にいる存在ではなく、私たちの心の中に現れるという、浄土観の深遠な側面を明らかにしています。

この観想修行は、心を浄め、仏の姿を心に映し出すことで、自分と仏が一体であるという真理を悟るプロセスなのです。これは、「心は仏である」という仏教の根幹をなす教えと深く結びついています。

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