今此經宗。以心觀淨則佛土淨。爲
T1750.37.0188b16: 經宗致。四種淨土。謂凡聖同居土。方便有餘 から
T1750.37.0188c21: 弟子。諸仙諸天化人等説也 まで
ご提示いただいた漢文は、善導大師(ぜんどうたいし)の『観無量寿経疏』の序文の続きで、経典の「宗旨(むね)」「功用(くゆう)」「教相(きょうそう)」について解説しています。これは、経典を理解するための重要な3つの視点です。
現代語訳
「今、この経の宗旨は、心を観じて清らかになれば、仏の国土も清らかになることにある」
「四種の浄土」
仏の国土には、四種類の浄土がある。
凡聖同居土(ぼんしょうどうごど):凡夫と聖者が同じ場所に住む国土。ここには、五濁(ごじょく)の軽重によって清らかな場所と汚れた場所がある。私たちの住む娑婆世界は、いばらや瓦礫で満ちた汚れた同居土である。しかし、阿弥陀仏の安養浄土(極楽)は清らかであり、八つの功徳を持つ水が流れ、七つの宝の樹が並んでいる。涅槃の次に位置する正しい位の衆生が集まる、同居土の中でも最高に清らかな浄土である。
方便有余土(ほうべんうよど):方便の道を修めて、煩悩の一部(四住惑)を断ち切った者が住む国土。煩悩の残りがまだあるので「有余」という。声聞や縁覚といった悟りを開いた聖者が生まれ、報身(修行で得た身体)を受ける。彼らはこの浄土で真理を悟り、やがて大乗の道を歩む。
実報無障礙土(じっぽうむしょうげど):真実の法を修行して、勝れた報い(報身)を得た者が住む国土。煩悩がなくなり、心が清らかで妨げられることがないので「無障礙」という。純粋な菩薩だけが住み、二乗(声聞・縁覚)はいない。ここでは五感で感じるものがすべて清らかであり、煩悩の妨げがない。
常寂光土(じょうじゃっこうど):仏の究極の浄土。「常」は法身(真理そのもの)、「寂」は解脱(煩悩からの解放)、「光」は般若(智慧)を指す。この三つは、それぞれ独立しているわけでも、別々に存在しているわけでもない。これを「秘密の蔵」といい、仏が住む究極の清らかな国土である。
このように、心を修めて優れた観想を行えば、浄土という勝れた報いを得る。これが、この経典の宗旨である。
「次に、経の功用(働き)を弁別する」
「用(ゆう)」とは、その力と働きのことである。この経典の力と働きは、善を生み、悪を滅することにある。悪を滅するから「力」といい、善を生むから「用」という。悪を滅するから「功」といい、善を生むから「徳」という。
苦しみは悪の結果であり、貪り、怒り、愚かさは悪の原因である。悪の原因が除かれなければ、悪の結果は消えない。
したがって、この経典は五逆(ごぎゃく)の罪を滅し、浄土に往生させることができる。これこそが、この経典の偉大な力と働きである。
「教相(教えの種類)」
この経典は大乗仏教の「方等教(ほうどうきょう)」に属する。
「赴機適化(ふきちゃっけ)」:仏は衆生の機根(能力)に応じて教えを説くため、同じ教えでも様々に異なる。
- 『大本(無量寿経)』は、二巻の経典であり、頓教(とんぎょう)である。
- 『小本(阿弥陀経)』は、舎衛国(しゃえいこく)で説かれた。
「阿弥陀」と「無量寿」は、同じ仏を指すが、言葉が異なるだけである。
この経典は菩薩蔵に収められ、修行の段階を追って悟る漸教(ぜんぎょう)ではなく、一気に悟る頓教である。なぜならば、この経典が説かれた相手である韋提希(いだいけ)夫人や侍女たちは、凡夫であり、まだ小乗の悟りを得ていない。したがって、段階を踏んでいない頓教であるとわかる。
解説
この文章は、善導大師が『観無量寿経』を、仏教全体の中でどのように位置づけているかを明らかにしています。
1. 宗旨(経典の目的)
- 「心浄土浄(しんじょうどじょう)」という言葉に、この経典の核心的な教えが示されています。これは、「心を清らかに観想すれば、仏の国土も清らかに見える(または往生できる)」という、浄土観の根本です。
- 天台大師の「四種浄土」の思想を引用し、極楽浄土がただ存在する場所ではなく、凡夫が住める「同居土」でありながら、その中でも最高に清らかな場所であることを論理的に説明しています。
2. 功用(経典の働き)
- この経典の最も重要な働きは、「善を生み、悪を滅する」ことです。
- 特に、五逆罪(父殺し、母殺しなど、最も重い罪)のような深い悪も滅することができる、計り知れない力を持つことを強調しています。
3. 教相(経典の種類と位置づけ)
- この経典は大乗仏教の「方等教」に分類されます。これは、仏が様々な衆生を平等に救済するために説かれた教えのことです。
- 「漸教」と「頓教」という分類では、この経典を頓教に位置づけています。これは、高度な修行を積んでいない凡夫でも、この教えによって一気に悟りの道に入ることができることを示しています。
このように、善導大師は、この経典が単に浄土の様子を説いているだけでなく、すべての凡夫を救済する偉大な力を持ち、仏教の他の教えと比較しても、最も優れた頓教であることを明確に主張しているのです。