では、次はどうだ?
どこでどう区切ればいい?
T1750.37.0191a10: ◎3爾時世尊放眉間光下。第二正説文爲三。 から
T1750.37.0191c14: 報。後三明三輩九品往生也 まで
ご提示いただいた漢文は、『観無量寿経』の「正宗分(しょうしゅうぶん)」、つまり経典の中心的な教えが始まる部分の解説です。この箇所を内容のまとまりで区切る場合、以下のように分けるのが適切です。
- 正宗分全体の構成
- T1750.37.0191a10 から T1750.37.0191a11 まで
- 仏の放光(ひかりを放つ)と微笑の意味
- T1750.37.0191a11 から T1750.37.0191a17 まで
- 韋提希夫人と仏の問答の展開
- T1750.37.0191a17 から T1750.37.0191b22 まで
- 三種の浄業(三福)の解説
- T1750.37.0191b22 から T1750.37.0191c01 まで
- 韋提希夫人の二度目の請願と十六観の導入
- T1750.37.0191c01 から T1750.37.0191c14 まで
このように区切ることで、それぞれのトピックが明確になります。
現代語訳と解説
1. 正宗分全体の構成
「次に、世尊が眉間から光を放つ」箇所から、第二の「正説(しょうせつ)」が始まる。正説は三つの部分に分けられる。
- 浄業(じょうごう):清らかな行いを説く部分。
- 妙観(みょうかん):優れた観想を説く部分。
- 利益(りやく):その教えによる利益を説く部分。
2. 仏の放光と微笑
「如来の眉間にある白毫相(びゃくごうそう)から光が放たれる」。この光は、無量の国土を照らし、再び仏の頭頂に戻って金色の台となり、そこに様々な仏の国を現す。これによって、韋提希(いだいけ)夫人は安養(あんよう)浄土に生まれたいと願う。
仏が光を放ったのは、韋提希夫人の「生れるべき場所」を問うた質問に応えるためである。
次に、「世尊が微笑んだ」のは、夫人が「清らかな行い」を問うたことに応えるためである。仏の微笑には二つの意味がある。
- 一つには、この教えが王と夫人の修行の道(増道)を助けるためである。
- もう一つは、王と夫人が光を通して互いを見て、王は死を恐れなくなり、夫人は王の姿を見て安心する。
3. 韋提希夫人と仏の問答の展開
韋提希夫人は仏に「思惟(しゆい)」と「正受(しょうじゅ)」の二つの教えを請い願う。
- 「思惟」は、心のなかでじっくりと考える「願」であり、往生への心構えである。
- 「正受」は、十六観という具体的な観想の実践を指す。
仏はまず三種の浄業(清らかな行い)を説き、次に十六妙観を説く。
浄業には、「凡夫に共通の行い」「二乗(声聞・縁覚)に共通の行い」「大乗に共通の行い」の三つがある。
4. 三種の浄業の解説
「第一の浄業」は、孝行や師を敬う心、十善の行いである。
「第二の浄業」は、三宝(仏・法・僧)に帰依し、すべての戒律を守ることである。
「第三の浄業」は、菩提心(悟りを求める心)を発し、大乗の教えを読誦することである。
これら三つの浄業は、「三世の諸仏(過去・現在・未来の仏)が浄土に生まれるための正しい原因」であると仏は説いている。
5. 韋提希夫人の二度目の請願と十六観の導入
韋提希夫人は「私は凡夫であり、仏の国土を遠くまで見ることができません」と訴える。これは、夫人が仏の滅後に生まれる末世の衆生を代表して、「どうすれば阿弥陀仏の国土を観ることができますか」と問うたのである。
仏は、この問いに答えるために十六の観想の方法を説き始める。
- 最初の六観:依報(えほう)、つまり浄土の環境(太陽、水、大地など)を観る。
- 次の七観:正報(しょうほう)、つまり阿弥陀仏や観音・勢至菩薩を観る。
- 最後の三観:三輩九品(さんぱいくほん)、つまり往生の九つの位を観る。
全体の要点
この文章は、『観無量寿経』が、単に浄土の様子を説く経典ではなく、凡夫が実践すべき具体的な修行法(三種の浄業と十六観)を体系的に説く「観想の教科書」であることを明らかにしています。特に、韋提希夫人の問いが、仏の滅後に生まれる私たち凡夫の問いを代表しているという善導大師の解釈は、この経典を現代に生きる私たち自身の救済の書として読み解くための重要な視点を提供しています。