平将門が最も寵愛した妾に桔梗御前と呼ばれた女性がいた。
伝承の一つに桔梗御前は将門滅亡後、各地を逃れ歩き、やがて海神山に庵を作り、将門の霊を供養する日々を送った。しかし、彼女は将門を慕う心が強く、とうとう恨みを抱いたまま船橋浦に身を投げて死んだ。
やがて、桔梗御前の祟りにより多くの人命が奪われたという。
桔梗の前の出自について、江戸時代末期に記された赤松宗旦の「利根川図志」によると、桔梗の前は佐原の隣村、牧野村の牧野庄司の娘で、将門が牧野の家に宿泊した際に見初められ妾となったと記されている。
だが、Samurai Elegyにおいては歴史に語られない真実が隠されている。
この世界線における牧野一族は朝廷に迫害されていた蝦夷の民の内でも、主に冷気に纏わる魔術を扱う呪術師の家系の末裔だった。
強大な力を持ちながらも朝廷軍の数に破れ、潜伏を余儀なくされた牧野一族はどれだけ時間が掛かろうとも朝廷及び朝廷が整理した法を礎とした日本を滅ぼすと誓う。
目的を果たすまで憎悪を継承し続け、それを実行するに足る力を得る手段として牧野一族はある術式を開発した。
牧野一族の誰かが死亡した時、その血肉を加工し抱いていた復讐心と障害を掛けた研鑽により得た知識と技術を記録、それを刻む事で当主に継承させる刺青である。西洋の魔術が用いる魔術刻印と本質的には同じものである。
平将門の出兵に呼応する形で牧野一族も参戦するも、平将門の敗北に伴う朝廷の残党狩りにより牧野一族は桔梗御前を残して滅亡、桔梗御前は本来兄が受け継ぐ筈だった刺青を受け継ぎ、復讐の機会が訪れるまで氷の魔術を用いた冷凍睡眠を行う事を決意する。
...桔梗御前は本来心優しい性格である。先祖の無念と聞いても今一つ実感が湧いていなかったし、朝廷及び日本への復讐よりも平将門及び家族を始めとした一族郎党との平穏な日々の方が大切だった。
平将門が打たれた時でさえ、復讐よりも彼の安息を神仏に願っていた。
しかし同時に生真面目で責任感の強い性格でもあり、愛する家族と一族郎党の願いである復讐を捨て去る事もできず「自分は牧野一族の一人なのだから一族が継承してきた宿願を果たさねばならない」と自分を追い詰める。
その果てに、自分自身の本来の願いを忘れ他者から与えられた「朝廷及び日本への復讐」に盲従する歪んだ怪物となってしまった。