いつもお世話になっております。
第74代で副将兼主務を務めました野々村碧衣です。
最後のふるはいくとなりました。
私の今の思いを綴ります。
毎日のように泣いていた弱い私でしたが、OB・OGの皆様をはじめ、同期、後輩、家族など多くの方々の支えがあり、ここまでやり抜くことができました。
4年間を振り返ると、これほどまでに強く成長できるとは、4年前の自分には想像もつきません。
改めて、支えてくださったすべての方々に心から感謝申し上げます。
さて、私は代交代初めの活動で後輩たちの前で「副将という役割を体現する」と宣言しました。
現役の皆さんは覚えていますでしょうか。
副将という立場は、主将のように常に前に立つわけではなく、どちらかといえば“二番手”のような存在です。
「何をしているのか」と問われても、一言では答えられません。
それでもこの一年、私が意識してきたのは、チーム全体を俯瞰して穴を埋めること、そして主将である山内の支えになることでした。
この夏に自分の役割を「サポート」に完全に振り切ったとき、ようやく“副将としての使命”が明確になった気がします。
この一年を振り返って強く感じるのは、「支える立場の重要性」です。
そのことを一番教えてくれたのは、間違いなく2年生の存在でした。
25人という大所帯の中で、午前と午後の乗り替わり制で練習し、ヨットに乗れない日や海に出られない日もあります。
それでも全員が「ヨットが好き」という気持ちを失わず、限られた時間の中で真剣に取り組んでいました。
そんな彼らの姿に、私の方が学ばされることの方が多かったと思います。
2年生への指導の中で厳しい言葉をかけながらも、自分の過去を思い返しては、恥ずかしさと申し訳なさを感じることが何度もありました。
私が2年生だった頃は、ありがたいことに全日本470、近北予選、全日本インカレと大きな大会に出場しました。
しかし今振り返ると、当時の私は「選手としての姿勢」も「チームの一員としての責任」も分かっていませんでした。結果や順位ばかりを追いかけ、支えてくれる人たちの存在に気づけていませんでした。
あの頃の自分を思うと、殴りたくなるほど情けなく感じます。
とはいえ、過去は変えられません。
選手を諦めざるを得なかったこの夏、サポートとして、そして副将として私ができることは、自分の後悔を糧に「この部で戦う上でのあるべき姿」をチームに伝えることだと気づきました。
「支える立場」として過ごす中で、私は次第に“応援したい選手とはどんな存在か”を考えるようになりました。
サポートを本気でやればやるほど、選手のすごさに気づきます。どれほどのプレッシャーの中で戦っているのか、どんな小さな声かけ一つにも力をもらっているのか。
一方で、選手の姿勢に疑問を感じることもあります。
「この人のために頑張りたい」と自然に思えるかどうか。
その違いは、ほんの小さな姿勢や態度の積み重ねにあります。
私自身、かつては“応援される選手”ではありませんでした。
誰かの支えを当然のように受け取り、自分のことで精一杯になっていました。
しかし、サポートとして選手を外から見て初めて、本気で応援したいと思える選手は、仲間への感謝と責任を常に持っている人だと気づきました。
だからこそ、後輩たちには伝えたいです。
ヨットに乗る機会が少なくても、表に出ることがなくても、「自分はチームの一員として何ができるか」を考え続けてほしい。
そして、いつか自分が選手として前に立つときには、「応援される選手」であってほしい。
この1年、副将として過ごした時間は、表立つことは多くありませんでしたが、チームを第1に考え続けました。
副将とは、“陰で支える人”ではなく、“チームを下から支える土台”のような存在。
私はその誇りを胸に、この4年間を終えたいと思います。
現役ではなくなりましたが、私のセーリング人生はまだ終わっていません。
夏からずっとレース運営に興味を持っており、運営の道へ手を伸ばそうとしています。
そして、まだ選手としての人生も諦めていません。
いつかどこかの海でレースに復帰してみせますので待っていてください。
最後に
私はこの金沢大学体育会ヨット部が大好きでした。
ヨットも部の活動もそして仲間も本当に大好きでした。
ヨット部に出会えて幸せでした。
素敵な時間をありがとうございました。
第74代 副将兼主務 野々村碧衣