平素よりお世話になっております。
第74代主将兼470リーダーを務めました山内拓海です。
10月10日〜13日にかけて滝港マリーナで行われました、近畿北陸学生ヨット団体戦では全日本の切符を掴むことができず、私たち4年生6名は現役生活を終えることとなりました。
改めて、私たちが4年間をかけて挑んだ3日間の大会に携わっていただいた皆様、ありがとうございました。支援艇で一緒に戦っていただいたり、運営をしていただいたり、応援に駆けつけていただいたり、多くの皆様のおかげで最後のレースまで帆走りきることができました。
第74代では多くのことに挑戦し、新しい形を作る1年間にすることができました。正解が分からないなか、失敗をしながらも問題に向き合いながらたくさんのことに取り組んできました。なんとか形とすることができたのもOBOGの皆様のおかげです。1年間私たちの活動を支援してくださり、ありがとうございました。
また、ヨット部への入部を許してくれた両親にも感謝してもしきれません。たくさん心配も迷惑もかけたと思うけど、イベントや最後は大会にもきて応援してくれてとても嬉しかったです。ありがとうございました。
自分は主将とクラスリーダーという重要な役割を2つ担わせていただきました。この2つの役職を任されたことに対して、代交代後2つの目標を立てました。その2つの目標に対して振り返ろうと思います。
1つ目は主将として「誰よりも周りをみる」です。1年間主将としてチーム全体を見ることができるよう努力してきました。努力して気づいたことは、「周りをみる」ということはあくまでも手段であり、見たものを「どうするか」が重要だということです。例えば艇庫が散らかっている、集合に間に合わなさそう、練習に行き詰まっている。そういった情報をキャッチした時に何をするべきか考え、ベストなことを実行することがとても大切でした。時に目を背けてしまったり、間違った対処をしたり、多くの失敗をしてきました。振り返ってみるとベストを実行できたことの方が少なく、自分の弱さを痛感します。しかし、見たことに目を背けずベストになるまで向き合うことで確実にチームはいい方向に向かうことができていました。些細なことであっても周りを見て、ベストになるまで向き合うことの積み重ねがチームを強くすると考えます。後輩には1人でも多くの人が、1つでも多くのことに向き合ってベストに導いて欲しいです。
2つ目はクラスリーダーとして「誰よりもヨットを研究する」です。この1年間は練習の振り返りを欠かさずにノートに書きました。ノートの消費量は4年間で1番でした。練習を振り返ったり、動画を見たり、記事を読んだり、それを持って海に出て試したり、はやくなるために試行錯誤を重ねました。特に滝港は日によって多様なコンディションの中で帆走することができ、多くのことを試すことができました。試行錯誤を通して、4年目にしても多くの発見をしたり、成長を実感したり、改めてヨットの楽しさを実感することができました。それでもまだまだ全日本に行く実力は足りず、知らないこと、できていないことがまだまだあると、ヨットの奥深さを痛感しました。現役を引退した今でも、試したいこと練習したいことが尽きません。常識にとらわれず、常にさらなる速さを求めて知識、技術をブラッシュアップすることが大切だと思いました。
主将でありクラスリーダーであったらからこそ、チーム運営やヨットの難しさだけでなく、楽しさや奥深さに気づくことができました。とてもかけがえのない1年間をありがとうございました。
ただ、この1年間は自分が想像していた以上に悩み続けた1年間でした。何度も「自分でよかったのか」という思いがよぎったし、理想の主将像を考え続けました。そんな自分の支えとなったのは2つの出会いがあったからです。
1つ目の出会いは関西大学さんです。春に悩みを抱えていたなかで、矢田さんを通して関西大学さんの合宿に参加させていただきました。去年のインカレで隣のバースにいた関西大学さんはとてもかっこよく、強いチームということが誰が見ても伝わってきました。そんなチームの練習に参加して、自分と同期の選手がチームを率いている姿を見て、自分だったらどんなことができるか、自分らしい主将像をイメージすることができました。春は大変お世話になりました。全日本で再会することができず申し訳ないです。
2つ目の出会いはこれまでの金大ヨット部の主将です。特に岩田さん、長谷川さんには悩みを聞いていただいたことで、自分と向き合うことができました。岩田さんには夏に初めてお会いしましたが、インカレで勝つことができるチームの主将はどうあるべきなのか、岩田さんがやってきたことをお聞きして、たくさんのことを学ぶことができました。長谷川さんは自分が1年生の時の憧れの主将で、長谷川さんのように憧れられる主将でありたいと思い続けることができました。お2人のような主将ではなかったと思いますが、最後まで74代の主将であり続けることができました。
たくさん悩み続けたけれど、予選前日にいただいたアルバムの後輩からのメッセージには自分が主将で良かったんだと思えるメッセージが多く書かれていて、これまでの悩みが報われたように思えました。
このチームの主将でいさせてくれて、自分が率いるチームで活動してくれてありがとうございました。
同回へ
4年間一緒に最後まで部活ができてとっても楽しかったです。たくさん迷惑かけたし、たくさん悩み合ったし、たくさんぶつかり合ったけれど、たくさん笑い合えて、楽しみ合えて良かったです。みんなが4年間最後までいてくれて嬉しかったです。
莉久斗へ
自分のペアとして約2ヶ月戦い続けてくれてありがとう。前の景色を一緒に見れなくてごめん。コース練でメキメキと知識と経験を積んで、帆走練でぐんぐんはやくなった莉久斗だったから、2年生ということに不安なく、ヨットに集中することができました。コース練で1位になった時、強風で沈もしたけど速く帆走できた時、最後のレースを笑顔で走ってくれた時、一緒に乗っていてヨットを楽しみ続けることができました。これからは金大のエースクルーとして誰にも負けない強さを求めてくれ!また一緒にレースでてリベンジしよう!
これからは現役を引退しOBとして部活に関わることになります。この1年間たくさんのことを築き上げてきましたが、悔いが残る結果に終わりました。後輩たちが同じ結果を、同じ思いをしないよう、強い金大ヨット部になるまでこの部活に携わって行きたいと思います。
最後になりますが、4年間多くの方々に支えていただいて活動してきました。自分1人では4年間やり遂げることはできませんでした。誠にありがとうございました。
想像していた大学生活ではなかったけれど、金大ヨット部と出会うことができて本当によかったです。4年間お世話になりました。
いつもお世話になっております。
第74代で副将兼主務を務めました野々村碧衣です。
最後のふるはいくとなりました。
私の今の思いを綴ります。
毎日のように泣いていた弱い私でしたが、OB・OGの皆様をはじめ、同期、後輩、家族など多くの方々の支えがあり、ここまでやり抜くことができました。
4年間を振り返ると、これほどまでに強く成長できるとは、4年前の自分には想像もつきません。
改めて、支えてくださったすべての方々に心から感謝申し上げます。
さて、私は代交代初めの活動で後輩たちの前で「副将という役割を体現する」と宣言しました。
現役の皆さんは覚えていますでしょうか。
副将という立場は、主将のように常に前に立つわけではなく、どちらかといえば“二番手”のような存在です。
「何をしているのか」と問われても、一言では答えられません。
それでもこの一年、私が意識してきたのは、チーム全体を俯瞰して穴を埋めること、そして主将である山内の支えになることでした。
この夏に自分の役割を「サポート」に完全に振り切ったとき、ようやく“副将としての使命”が明確になった気がします。
この一年を振り返って強く感じるのは、「支える立場の重要性」です。
そのことを一番教えてくれたのは、間違いなく2年生の存在でした。
25人という大所帯の中で、午前と午後の乗り替わり制で練習し、ヨットに乗れない日や海に出られない日もあります。
それでも全員が「ヨットが好き」という気持ちを失わず、限られた時間の中で真剣に取り組んでいました。
そんな彼らの姿に、私の方が学ばされることの方が多かったと思います。
2年生への指導の中で厳しい言葉をかけながらも、自分の過去を思い返しては、恥ずかしさと申し訳なさを感じることが何度もありました。
私が2年生だった頃は、ありがたいことに全日本470、近北予選、全日本インカレと大きな大会に出場しました。
しかし今振り返ると、当時の私は「選手としての姿勢」も「チームの一員としての責任」も分かっていませんでした。結果や順位ばかりを追いかけ、支えてくれる人たちの存在に気づけていませんでした。
あの頃の自分を思うと、殴りたくなるほど情けなく感じます。
とはいえ、過去は変えられません。
選手を諦めざるを得なかったこの夏、サポートとして、そして副将として私ができることは、自分の後悔を糧に「この部で戦う上でのあるべき姿」をチームに伝えることだと気づきました。
「支える立場」として過ごす中で、私は次第に“応援したい選手とはどんな存在か”を考えるようになりました。
サポートを本気でやればやるほど、選手のすごさに気づきます。どれほどのプレッシャーの中で戦っているのか、どんな小さな声かけ一つにも力をもらっているのか。
一方で、選手の姿勢に疑問を感じることもあります。
「この人のために頑張りたい」と自然に思えるかどうか。
その違いは、ほんの小さな姿勢や態度の積み重ねにあります。
私自身、かつては“応援される選手”ではありませんでした。
誰かの支えを当然のように受け取り、自分のことで精一杯になっていました。
しかし、サポートとして選手を外から見て初めて、本気で応援したいと思える選手は、仲間への感謝と責任を常に持っている人だと気づきました。
だからこそ、後輩たちには伝えたいです。
ヨットに乗る機会が少なくても、表に出ることがなくても、「自分はチームの一員として何ができるか」を考え続けてほしい。
そして、いつか自分が選手として前に立つときには、「応援される選手」であってほしい。
この1年、副将として過ごした時間は、表立つことは多くありませんでしたが、チームを第1に考え続けました。
副将とは、“陰で支える人”ではなく、“チームを下から支える土台”のような存在。
私はその誇りを胸に、この4年間を終えたいと思います。
現役ではなくなりましたが、私のセーリング人生はまだ終わっていません。
夏からずっとレース運営に興味を持っており、運営の道へ手を伸ばそうとしています。
そして、まだ選手としての人生も諦めていません。
いつかどこかの海でレースに復帰してみせますので待っていてください。
最後に
私はこの金沢大学体育会ヨット部が大好きでした。
ヨットも部の活動もそして仲間も本当に大好きでした。
ヨット部に出会えて幸せでした。
素敵な時間をありがとうございました。
第74代 副将兼主務 野々村碧衣
お疲れ様です。
第74代スナイプリーダーを務めておりました佐々木穂乃佳です。
引退から3日ほど経ちましたが、いまだに最終レースの景色を思い出してしまいます。ハイクアウトメイントリムがきつかったです。強風でシングルを取れるとは思いませんでした。
都合により急いで投稿しなければなりませんが気持ちがまとまっていないのでとりあえず今思っていることを書こうと思います。
私にとってこの4年間は、きついことの方が多かったと感じています。ヨットは下手だし、リーダー気質ではないし、学業と両立するの難しいし、といったところです。そんな私が続けて来れたのは、確実に周りの仲間のおかげだと思っています。同回や先輩、後輩とする他愛無い会話がとにかく楽しかったし、ちょっとふざけるのも楽しかったし、そんな一瞬の楽しさを思い出してみんなを見捨てて辞めることなんてできませんでした。そうやってチームのためにコンバートしたりと動いているうちにヨット自体が楽しくなりました。ヨットはとにかく奥が深い、わけがわからない、それが楽しかったです。今まで一緒に乗ってくれた皆さん、ありがとうございました。レースで一緒に乗って良い景色を見せてくれてありがとうございました。
スナイパーへ
みんながスナイプを選んでくれたおかげで両クラスの夢を諦めることなくこの1年過ごすことができました。あまりヨットに乗せてあげられなくてごめんなさい。学年1人だったけど、全然寂しくありませんでした。みんなのおかげです。本当にありがとう。
入部から引退まで関わってくださったOBさんOGさん、後輩たち、支えてくださった保護者の皆様、ありがとうございました。一緒に戦ってくれた同回のみんな、本当にありがとう。とにかく楽しかったです。