F26030
2026/07/06 (月) 02:36:37
a546f@048a7
授業後にもう一度『心理学者、裁判と出会う』を読み、甲山事件は犯人は誰かという事件であると同時に、人はどこまで自分の記憶を信じられるのかという事件でもあると感じた。もし正岡君が意図的に嘘をついたのではなく自分では真実だと信じて供述していたとすれば最も難しい問題は嘘を見抜くことではなく、真実だと信じている記憶が変化してしまうことをどう見抜くかだと思った。証言は真実を語るのではなく、人が信じた事実を語るのかもしれない。だからこそ、裁判では証言だけではなくその証言がどのように生まれたのかを見なければいけないと思った。事件の事実は一つでも人の数ほど真実があることが裁判の難しいところだなと思った。
通報 ...
正岡くんが本当は目撃者であったとしたら、彼にあのような誘導的な発問をしてはいけないですね。誰に対してもいけないですが、正岡くんの特性からすると禁物です。彼は、周囲に関心を持ってもらいたい方向に動く子供でした。授業で紹介した尋問は、弁護団によってなされたものですが、あれは正岡くんに誘導的な質問をすると誘導されてしまうこと、そして警察や検察の取り調べでそれが生じていたことを訴えるための、意図的な発問だったようです。「証言がどのように生まれたのかを見なければいけない」とはおっしゃる通りです。弁護団の誘導的質問には、そういうメッセージが託されていました。
真実だと信じている記憶が、本当の体験と言えるかを吟味することが理想ですね。第三者が当人の記憶について裁定することになるという倫理的問題はありますが、それができればいいですね。
なお甲山事件の真相ですが、状況証拠から推測するに、あれは事故のようです。事故の可能性は、浄化槽のマンホールを力のない児童が開けられないという判断で却下されましたが、実際には浄化槽には子供が投げ込んだと思われるおもちゃが散見されたり、児童の一人が亡くなった女子児童が落ちるところを見たと、実は取調べ時に証言しているのです。
7点差し上げます。