26年度心理学部

認知科学概論

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26年度「認知科学概論」の投稿ページです。

satsukagushinri
作成: 2026/03/16 (月) 00:05:47
最終更新: 2026/04/18 (土) 18:09:08
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175
F26020 2026/07/05 (日) 22:41:54 bdb3e@52166

自白の信頼性評価の所で、「この人は一般か例外か」という言葉がでてきて、その例外はだめっていうことではなくて人間1人ひとりの環境や、経験を知ることに繋がっていると感じた。自白の話からは逸れるが、その例外を知ることで個人を理解することに繋がるのではないかとおもった。あと、反復質問は日常でも無意識のうちに使っていると感じた。人はなぜ2回も聞かれたら自分が間違っていると心で思ってしまうのだろうか。自分は2回聞かれたら、その事について何か問題があったのだと感じし、逆に聞く人は不安を安心に変えたいのではないかと思った。

182
satsukagushinri 2026/07/06 (月) 13:53:11 5adbf@26c6d >> 175

 例外がダメとか、そういう話はしなかったと思います。ある法則があって、その法則通りに動く人なのか、それから外れる例外なのか、特定の人について決定できないということをお話ししました。
 「その例外を知ることで個人を理解することに繋がるのではないか」というのは、どういう意味ですか。
 会話はさまざまなルールによってなされているのですが、多くの人はそれに気づいていません。そこに気づかれたのはとてもよいことだと思います。実はこのことを一番知ってほしかったのですよね、この授業では。回答に情報が含まれているのに、同様の質問をするということは、どういう可能性を感じさせるでしょう。その情報提供が質問者にとって有益でなかったと、提供者に知らしめる機能を感じるのかもしれませんね。聞く人が同じ質問をする場合は、当然その回答に不足があると感じているのだと思います。
5点差し上げます。

176
F26129 2026/07/06 (月) 02:34:09 35dae@539f2

正確性の高い証言を得る方法を求めるために、それは逆に証言を操作する方法を考えて逆説的に求めてみたら面白いと思った。例えば、ある事象発生日からの時間経過でどれだけ記憶の操作が簡単になるのかを調べて、証言の鮮度による証言の信頼できる期限を検証する。他にも、尋問時の空間や時刻・期間・時間、温度、尋問官の人なりなどによる証言者のメンタルブレイクのしやすさや間違った言葉選び・解釈の発生のしやすさなどを検証する。これらを検証するとこで確率的である証言の正確性を最大限引き上げることができるだろうと考えた。

183
satsukagushinri 2026/07/06 (月) 13:53:28 5adbf@26c6d >> 176

 証言の操作を意図的に行なう取調べ方法はあります。「リード・テクニック」として知られていますが、この方法は、操作しようが誘導しようが、やっていなければやっていないと言うだろう、逆にやったと言うからにはやったのだろうという前提に基づいています。いけないことをしないようにするのは大切ですが、そのために「いけないこと」を探すより、「していいこと」を見つける方が生産的かと思います。また、一見いいことに見えて実はいけないことを暴いていくことが必要ですね。
4点差し上げます。

177
F26030 2026/07/06 (月) 02:36:37 a546f@048a7

授業後にもう一度『心理学者、裁判と出会う』を読み、甲山事件は犯人は誰かという事件であると同時に、人はどこまで自分の記憶を信じられるのかという事件でもあると感じた。もし正岡君が意図的に嘘をついたのではなく自分では真実だと信じて供述していたとすれば最も難しい問題は嘘を見抜くことではなく、真実だと信じている記憶が変化してしまうことをどう見抜くかだと思った。証言は真実を語るのではなく、人が信じた事実を語るのかもしれない。だからこそ、裁判では証言だけではなくその証言がどのように生まれたのかを見なければいけないと思った。事件の事実は一つでも人の数ほど真実があることが裁判の難しいところだなと思った。

184
satsukagushinri 2026/07/06 (月) 13:53:43 5adbf@26c6d >> 177

 正岡くんが本当は目撃者であったとしたら、彼にあのような誘導的な発問をしてはいけないですね。誰に対してもいけないですが、正岡くんの特性からすると禁物です。彼は、周囲に関心を持ってもらいたい方向に動く子供でした。授業で紹介した尋問は、弁護団によってなされたものですが、あれは正岡くんに誘導的な質問をすると誘導されてしまうこと、そして警察や検察の取り調べでそれが生じていたことを訴えるための、意図的な発問だったようです。「証言がどのように生まれたのかを見なければいけない」とはおっしゃる通りです。弁護団の誘導的質問には、そういうメッセージが託されていました。
 真実だと信じている記憶が、本当の体験と言えるかを吟味することが理想ですね。第三者が当人の記憶について裁定することになるという倫理的問題はありますが、それができればいいですね。
 なお甲山事件の真相ですが、状況証拠から推測するに、あれは事故のようです。事故の可能性は、浄化槽のマンホールを力のない児童が開けられないという判断で却下されましたが、実際には浄化槽には子供が投げ込んだと思われるおもちゃが散見されたり、児童の一人が亡くなった女子児童が落ちるところを見たと、実は取調べ時に証言しているのです。
7点差し上げます。

178
F26062 2026/07/06 (月) 08:46:40 修正 b71b6@1aeca

自白の信用性について、たしかに「お前がやったんだろ」や「さっさと言っちまったほうが楽だぞ」みたいなことを言われ続けたら、早くこの状況を抜け出したくて自分がやったのだ、自白したほうがいいのだと思ってしまうかもしれない。では、取り調べはどのようにやればよいのだろうか。「あなたは○○○という理由で▲▲▲という容疑がかけられていますが本当にやりましたか?」と優しく聞くことで取り調べることができるのだろうか。無実の人であるならば優しく取り調べることで誤った自白をする可能性は少なくなる可能性はあるだろう。実際に現代では威圧的な取り調べが問題になっている。しかし、本当に犯罪を犯していて、しかもウソをつくことにためらいのない人への取り調べはどうするのだろうか。優しく聞いてなにか取り調べで得ることができるものはあるのか。それとも、無実の人を自白に追い込むだけで、威圧的でなくして取り調べで得られるものがなくなるのなら、もはや取り調べ自体をする必要がないのではないか。

187
satsukagushinri 2026/07/06 (月) 13:54:53 5adbf@26c6d >> 178

 司法面接という方法が提唱されています。研修が行なわれていますし、4年次の専門科目に「司法面接」という科目があります。本も出ています。「司法面接」で検索してみてください。
 「本当に犯罪を犯していて、しかもウソをつくことにためらいのない人への取り調べはどうするのだろうか」という懸念は、治安の維持を望む一般国民としては当然の思いですね。日本ではどうなつているかわかりませんが、英国だと威圧的でない取調べ(PEACEと言います)が普及してきて、かつ本当のことをなかなか言わないであろう困難な人々(テロリストとか)に対する取調べができる、卓越した技能を持つ人の育成もしているようです。もっとも、物証がなければたぶん逮捕もできないので、物証によるチャレンジができるのであれば、中立的な取調べも可能かと思います。
6点差し上げます。

179
satsukagushinri 2026/07/06 (月) 09:28:55 5adbf@fbde2

今回の採点対象となる投稿は締め切りました。投稿ありがとうごさいます。

188
F26020 2026/07/12 (日) 20:38:19 bdb3e@52166

今回は先生の実験?から、伝聞は体から遊離した目線から語られる事がおおいとあったが、人から聞いた話
が誇張されたりねじ曲がってしまうのは自分の視点から離れているからだろうか?たとえば、自分は人から話をきいて、それを違う人に話す時たしかにあやふやになってると感じてる。それは自分が主体じゃないからだろう。

196
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:19 5adbf@f9228 >> 188

 体験と伝聞の差異が、鳥瞰的視点をとるか、虫の目の視点がとれるかという点にあるという話を授業ではしました。体験がある場合、地面に立って移動をしているため虫の目視点での見えが常に体験されています。一方、伝聞体験では、すでに終了した他人の体験を言葉によって聞くだけなので、虫の目視点はとれません。語られた体験とは出来事がすでに終了しているので、ナビゲーションの開始から終了までを同時に(俯瞰して)認識することができます。このため鳥瞰的視点に依存する表現なら可能になります。鳥瞰的地図の作図がその例でした。
 あなたはそのような違いを、「自分の視点から離れているかどうか」と書いてしまっており、鳥瞰的視点と虫の目視点の対比をしているのかわからなくなっている書き方になっています。それ以降のあなたの考察が二種の視点の対比による帰結を論じているのかどうかがわからなくなっているのですね。「人から聞いた話が誇張されたりねじ曲がってしまう」ことや、「あやふやになって」しまうことは、二つの視点の違いから生じる問題だと考えていますか。もしそうであれば、なぜそのように考えられると思いますか。「自分が主体じゃない」のは確かにそうですが、主体かどうかが二つの視点の差異としてより明瞭に規定できたという点が、授業で紹介した実験が示したことでした。
4点差し上げます。

189
F26097 2026/07/12 (日) 21:11:44 821a8@b04be

俳優など、他人の経験や感情を自分のことのように表現する訓練を受けている人は、実体験ではない出来事であっても実体験と似た話の形式になったり、演技を繰り返し練習することで、実体験と伝聞の違いが小さくなることはあるのだろうか。もしそのような変化が起こるのであれば、話の形式だけで実体験かどうかを判断することは難しくなる場合もありそうだと思った。また、俳優は見ている人達に本当に経験したことのように伝わる演技を目指していると思うが、それでもその俳優だなーと分かるような喋り方などの特徴は消しきれず残るものなのだろうか。

197
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:27 5adbf@f9228 >> 189

 あなたが言うような可能性は否定できませんが、具体的な実例とか、俳優が他人になりきるとはいかなることを俳優がしていることなのかに関する考察があるとか、そういうものがないと感想にとどまってしまいもったいないです。私は演劇に詳しくないので、演劇に従事する人がどのようにして「真に迫る」ようにしているのかを知りたく思いました。わずかばかりの私の知識を言うと、身体の持っているリズムとかテンポが、個人を特定する情報になり得るようです。足音から「あの人だ」とわかることはありませんか。私は結構あります。俳優がやっていることは、模倣する対象の身体のリズムなどを模しているのではないかと思いました。しかしながら、授業で紹介した実体験と伝聞の違いは、個人の中で生じた差異ですから、同一人であっても実体験者へのなりすましは難しいという結論になりそうです。
4点差し上げます。

190
F26123 2026/07/12 (日) 21:55:01

ナビゲーション実験から、経験と伝聞の認知の違いについて知ることができた。その中で私が印象に残った点は、コミュニケーションの「形式」で実体験の痕跡を探すことができるという点だ。語り手の挙動や時間感覚、視点などその人特有の認知の仕方で実体験なのか伝聞なのかを判断することができる。では、実体験と伝聞の伝え方を全く同じ形式にした場合、判断することは可能なのだろうか。コミュニケーションの形式に差が出るのは実体験の方がより具体的かつ鮮明な記憶であり、伝聞の場合は抽象的かつ限定的な記憶であるため、記憶の引き出し方が違うからだと考える。そのため、記憶の引き出し方を全く同じにした場合、実体験か伝聞かを判断するのは難しいのではないか。

198
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:41 5adbf@f9228 >> 190

 「実体験と伝聞の伝え方を全く同じ形式にした場合、判断すること」は難しくなると思います。たとえば、質問に対して「はい」か「いいえ」で回答させるとしたら、判別は難しいでしょう。ここから、CQに対して回答させるような体験の聞き方は実体験か否かを判別する方法としては危険である、というように考察ができてもよかったと思います。
 「実体験の方がより具体的かつ鮮明な記憶であり、伝聞の場合は抽象的かつ限定的な記憶であるため、記憶の引き出し方が違うから」という考察には同意し兼ねます。授業ではほとんど話さなかったからわからなくて当然ですが、この実験の眼目は「どこかに貯蔵されている記憶」という概念を消すことにあります。そして「ある環境と接触した身体が、想起するときにみせる挙動」として記憶を再概念化しようとします。心理学から「記憶」という無用な概念が消えることを願ってやみません。変なことを言っていると思われたかもしれませんが、昔の人は物が燃えるのは物質の中に燃焼する物質が存在するからだと考えていました。その物質は「フロギストン」(燃素)と呼ばれていました。現在では燃焼は「酸化の一形態」と考えられています。記憶もまた「知覚の一形態」と考え直して、心理学から消したいのが私の野望です。あなたはフロギストンがあると思いますか。記憶もいずれそうなります。
5点差し上げます。

191
F26129 2026/07/13 (月) 01:24:30 d5c38@539f2

直接と間接の想起の差異はどういうメカニズムで生まれるのかが気になった。私の予想では、直接の場合は記憶の映像から説明をするための表現を抽出する、そして説明するという順番のために想起する度同じ表現になりにくい。間接の場合は聞いたあるいは目的の表現から説明する、必要ならイメージという順番のために固定的な表現になると考えた。つまり、想起の過程で表現が元か、状況の記憶が元かで差異が生まれるという考えだ。直接では想起の度に表現を抽出することになるので結果的にランダム性が生まれるのである。

199
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:56 5adbf@f9228 >> 191

 直近のコメントを参考にしてください。どこかに貯蔵されている「記憶」という考えをとると、間違うと私は考えています。想起は時間的現象なのに、記憶には時間が含まれていないことが、そもそも後者で前者を説明することの間違いを物語っています。
5点差し上げます。

192
F26021 2026/07/13 (月) 06:51:00 ec680@52ccd

実験結果を聞きながら、人は話の内容より視覚から得る情報の方が重要だと感じやすいという「メラビアンの法則」を思い出した。実験では話の内容(実体験と伝聞の差異)だけに焦点を当てていたが、話をしている時のスピーカーはどんな様子だったか気になった。
また、伝聞と実体験で表現の仕方に差が出そうだと思った。人によって価値観や身体機能も僅かなりとも差が出るので、藍色と青色を見て「どちらも青だ」と表現するか「藍と青だ」と表現するか、または違う色で表現したりと変わってくるのではないか。

200
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:57:14 5adbf@f9228 >> 192

 体験時の視覚が不在であることは、実体験と伝聞の大きな差異ですが、それを記憶の属性にすることは反対です。人間は視覚への依存が高いので、物を考えるときどうしても視覚のあり方にそって考えてしまいます。「記憶」という概念を想定してしまうのも、この悪影響ではないかと思っています。体験においてむしろ考慮すべきは環境と身体の接触(相互作用)であって、視覚体験もその一部(でしかない)と考えたいものです。
 話し手の様子が気になったという着想は面白いと思いますが、どうしてですか。あなたの考えが聞きたかったです。体験時の色識別のあり方が人によって異なるでしょうから、想起時の色表現もまた個性が出るでしょうね。昔扱った事件で、被害者の服の色を語る被疑者の供述が「黄色」になったり「オレンジ」になったりしていましたが、これは体験者に起きることかどうか気になりました。
5点差し上げます。

193
F26030 2026/07/13 (月) 07:09:09 a546f@048a7

ナビゲーション実験から、記憶は脳だけに保存されているのではなく、身体全体にも表れているのではないかと考えた。人は過去を思い出すとき、視線や手の動きや姿勢が自然と変化するときがある。こうした身体の反応も記憶の一部であり、記憶は脳と身体が一体となって保持している可能性があるのではないかと思った。実際に経験した出来事であれば、現場に戻った時に言葉だけではなく身体の動きや視線、立ち位置などが自然に再現されるのではないかと思う。この現場再現を記憶想起の補助にすれば事件の目撃者や関係者が現場を思い出しやすくするために活用できそうだなと思った。

201
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:57:32 5adbf@f9228 >> 193

 かつて接触した環境と身体の再会が、想起を発生させるという考えはありますね。主流派の記憶研究でも、状況依存記憶、符号化特定性などの類似した考えが散見されます。
 脳が認知の中枢だと主流派が言っているので、仕方がないと言えば仕方がないのですが、我々3人が研究を進めている生態心理学という分野では、脳を認知の中枢とは考えません。認知は環境と身体の間で起こることで、脳は身体の一部でしかなく、脳が行なっているのは認知ではなく、認知が成立する際の身体組織の微調整であると考えています。新しい考え方です。
 もう一つ、応用例を挙げてくれました。現場再現は警察がよくやる捜査手法です。実況見分というやつです。しかしこの方法は、体験がなくても見分時に出会った環境に適合すれば、体験したかのように語れてしまうこともあります。したがって、刑事捜査においては、あまりお勧めしたい方法ではありません。
7点差し上げます。

194
F26062 2026/07/13 (月) 08:56:27 b71b6@d2c37

実体験の痕跡は語り手のその人特有の語りや描写の形式に現れるということだが、私はどうにかこの形式をすべての形式を特定して種類別に分けることはできないかと考えた。そして、取り調べの時にとる調書をその人の語りの形式を特定するために毎回分析するという方法を思いついた。だが、まず前提としてその人が無実でなければならない。分析した人が本当に犯行をしていたときは体験に基づく語りができるので体験がない場合の語りの形式を特定する事ができない。相手を冤罪だと仮定してずっと分析をし続けるというのは現実的ではないし、そもそも現代の捜査技術だと冤罪の人が出ることもあまりないだろう。難しい。ただ、人の語りの形式は十人十色ありそうだが、語り方はある程度決まってくると思う。表現の仕方はたくさんあるが無限にあるわけではないと思うがどうだろうか。

202
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:57:48 5adbf@f9228 >> 194

 実験をすればいいと思います。ある環境に接したかどうかを記録に残しておく。その上で想起語りの分析を行ない、環境接触の有無が識別できるかを確認する。ナビゲーション実験と同じ手法です。
 語りの形式を「種類別に分ける」ことの意義はなんですか。あなたが思いついたアイデアのアピールポイントがもう少し明確だと助かります。色々なことが言いたそうですが、時間をかけて論理的構成をしっかりつけるともっとよくなると思います。
4点差し上げます。

195
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 09:31:30 5adbf@f9d36

今回の採点対象となる投稿は締め切りました。投稿ありがとうごさいます。

203
F26123 2026/07/19 (日) 20:11:10

身体的な基準があることでより通過しやすくなるのではないかというものがあった。ではなぜ、自分の足がどこを向いていて壁(隙間)と身体の距離がどれくらいかなどもわかっているのに足の小指をぶつけてしまうのか。経験から肩はぶつかりやすいが意識して旋回できる、手の指ぶつけにくい、足の指はぶつけやすいということを感じる。このことから、視点や身体の中心からの距離によって意識の向きやすさに違いがあるのではないかと考える。

206
satsugakushinri_2 2026/07/19 (日) 21:49:29 7843f@5a7e4 >> 203

良い気付きですね。足の小指をぶつけてしまうことに関連する論文がありますので, ご紹介します。https://www.jstage.jst.go.jp/article/kikaic1979/73/725/73_725_274/_pdf
ぜひご一読ください。5点差し上げます。

204
F26097 2026/07/19 (日) 21:04:03 修正 821a8@b04be

カラオケなどで歌うときの手の動きについて、手の動きを喉の動きや声の出し方のお手本・ヒントにしているのではないかと考えた。私はドラムを演奏していたが、手と足が同じリズムを刻むとき、手の動きに足を合わせることができるからやりやすいが、異なると難しいと感じる。同じように、歌う時も手を動かすことで、脳がその動きをお手本(見本?)として喉を調節し、音程などをコントロールしているのではないか。何個かの身体の動きが同期するとき、脳がそれを一つのまとまりとして処理、連動させているイメージがある。独立していなくて、それぞれ影響・補助し合う感じ。また、ラッパーの手の話ついても、頭の中にある韻や言葉の流れの「リズム」が手の動きと結びついているから、動きを制限されるとそれらができなくなってしまうのではないか。日常でも言葉が出てこない場面では無意識に身振り手振りをすることで考えを整理したり伝えたいことを表現していたなと考えた。

208
satsugakushinri_2 2026/07/19 (日) 21:53:42 7843f@5a7e4 >> 204

面白いですね。講義で紹介したラッパーの手の制御に関する論文を貼っておきます。
https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2019/proceedings/pdf/JCSS2019_P2-36.pdf
この論文を参考に, どのように計測をすれば良いか考えてみると楽しそうです。7点差し上げます。

205
F26020 2026/07/19 (日) 21:14:02 bdb3e@60fc7

自分は森先生のぼっちのお話を聞いて、キティ・ジェノウィーズ事件の傍観者効果と少し似ていると思った。傍観者効果は周りに人が居るほど起こりやすいことから、ぼっち体験するといったら大抵集団で起こる場合が多いと思う。パズル実験では1人がよくぼっちになる人を見ていたと言っていたが、その他の人は「誰かが声をかえるだろう」と期待や無意識に考えてた思う。逆に、ぼっちになってしまう人も、「誰かが助けてくれる」と考えてしまう場合もあるのではないかと思った。自分も結構人見知りだからいかにぼっちにならないか実験してみたいと思った。

213
satsukagushinri 2026/07/21 (火) 19:46:00 5adbf@fd355 >> 205

 傍観者効果とぼっち現象は共通するところがあると思います。傍観者効果の中核は何にかと言うと、他人の認識の中身は基本わからないこと、そのため他人の認識を表出された言動から推測し合うしかないこと、そして推測は現実に合致するとは限らないこと、ではないかと思います。ぼっち現象は、表出された言動が少なく(Xさんは発話も行為も乏しかったですね)、そのため問題事象が起きていることに誰も気づかないという出来事でしょう。推測を行なったと言うより、推測を発動させる刺激に乏しいのだと思います。キティ・ジェノウィーズ事件では叫び声とか物音とかがしていたのに、それを特別のことではないと推測したために起こりました。傍観者効果には責任の分散も伴います。あなたが言う、「誰かが声をかえるだろう」、「誰かが助けてくれる」だろうというやつですね。今回紹介した卒論でどうなっていたかは忘れましたが、生じていた可能性はあると思います。まとめると、言動の少なさ、推測、責任感の分散が、ぼっち現象を支えているものと思われます。
7点差し上げます。

209
F26030 2026/07/20 (月) 03:28:16 a546f@048a7

空書の研究から、空書をすることで文字を思い出せるのではなく、思い出せそうだから空書をしているように感じた。全く思い出せないときは空書が少なく、記憶や考えがある程度までまとまった段階で自然に空書が行われているのではないかと思った。少し前の論文ですが、日本認知心理学会発表論文集(2003年)会話場面における「空書」行動の研究では会話場面では数字(アラビア数字)の空書が多かった実験結果が書かれていました。漢字の空書は国が限られるかもしれませんが、数字の空書になると世界共通なので外国人にも空書の傾向がみられるのか気になった。もし英単語のスペルをバラバラにして組み合わせると何になる?みたいな問題を外国人に出したら空書するのか実験したら面白そうだなと思った。空書をしなければ、空書は漢字文化や日本の習字の習慣の影響を強く受けている行動という可能性が高くなるし、外国人が空書をすれば、空書は世界共通の文字を頭の中で整理するための認知行動になると思った。

212
satsugakushinri3 2026/07/21 (火) 11:47:35 f636a@d2c37 >> 209

関連文献も調べながら、授業内容と結び付けて考察できていますね。4.5点差し上げます。

210
F26021 2026/07/20 (月) 08:42:45 ec680@52ccd

ティッシュ配りの研究で、目線や間合いが成功率で関わってくるところに傍観者効果を思い出した。日本人は特に顕著だと思うが、個が特出することはとても勇気がいる事である。だから、いざ集団の中でトラブルに遭遇した時、色々と言い訳をして他力本願になり目を逸らしてしまう。高校の救急救命講習でも、周りの人に手助けを頼むときは具体的な特徴と目線で指名すると良い、と教えられた。ティッシュ配りでも、距離の近い人を目線で指名する事で「他の誰でもない貴方なのだ」と伝えているのだと思った。日本人は目線を気にする人種だと思うので、人と目が合うとその人に注意が向く。距離が近ければ自分が見られているという確信も得やすいのだろう。日本人の間合いを感じる研究だと思った。

214
satsukagushinri 2026/07/21 (火) 19:49:40 5adbf@fd355 >> 210

 ティッシュ配り研究で立てた問いは、「もらい手が誰か決まっていない」かつ「もらってくれるかどうかわからない」状況で、どのようにして特定の誰かがもらってくれることになるのかにありました。自分がターゲットになっていることに気づかなくてもいい、ティッシュを別にもらわなくてもいいという点で、傍観者効果とは異なるのではないかと思います。ティッシュ配りの現場は、集団内にトラブルが生じている事態でもないし、目をそらそうが、もらい手になろうとなるまいと、まったく問題はありません。他者の認識内容を推論があろうとなかろうと関係なく、責任の分散はあるかもしれませんが(誰かがもらうだろう)、誰ももらう必要がないのが路上のティッシュ配りです。
 あの研究の成果ですが、配り手が特定の人に視線を送り、うっかりその人が視線を返してしまうことで、両者の間にコミュニケーション事態が生起するため、次のティッシュ渡しを拒みにくくなるというものです。声をかけられたら声を返さないと何か悪いことをした気になるというのがコミュニケーション事態での規範ですが、これを利用しているのですね。
 傍観者効果については、先の投稿者が扱っていますので参照してください。何かに気づくこと、ひらめくことは大切です。その次に試みるのは、ひらめきの中核、本質は何かと探ることでしょう。結びつけようとした二つ(以上)のものが、中核、本質部分で結びつくように考えを巡らす訓練をすれば、あなたの豊かなひらめきが生きると思います。
5点差し上げます。

211
satsukagushinri 2026/07/20 (月) 19:52:02 5adbf@642d0

今回の採点対象となる投稿は締め切りました。投稿ありがとうごさいます。

215
satsukagushinri 2026/07/24 (金) 14:59:31 5adbf@d2c37

最終レポートの期限は、近々発表します。しばらくの間、最終レポートを作成する上で聞きたいこと、知りたいことなどを質問する期間を設けます。研究計画の立案に貢献する、「どういうデータを採ったらよいか」「どういう手続きで実験したらよいか」等の質問を受け付けますので、投稿してください。この質問期間にも期限があります。これもまたのちほどお知らせします。

216
satsukagushinri 2026/07/24 (金) 15:46:07 5adbf@d2c37

最終レポートに関わる質問は初めてくださって結構ですよ。

217
F26030 2026/07/27 (月) 02:19:22 a546f@048a7

質問失礼します。「なぜ人はひらめくのか」の研究方法について悩んでいます。最初に、授業で出したテーマは範囲が広すぎるので「なぜ人は『今』ひらめくのか」に変更したいです。人がひらめく前に重点を置きましたが、研究方法が全く見当がつきません。一つだけ思いついたのが、クイズを出してひらめいたと思った瞬間に知らせる、という方法だったのですが、ひらめくことを意識しすぎて自然にひらめくことができなくなってしまうのではないかと思いました。このケースはデブリーフィングをした方が望ましい結果になると思いますか?最後に、この掲示板の質問は質問期間内であれば何回でも質問することが可能ですか?

220
satsukagushinri 2026/07/27 (月) 14:58:51 5adbf@0bee6 >> 217

 質問ありがとうございます。テーマの変更は自由に行なってください。最終レポート提出時に決まっていればいいです。
 「方法」が決まらない一つの原因は、テーマ(知りたいこと)が明確でないことにある場合があります。「『なぜ』ひらめくのか」ということなので、ひらめきを誘発するもの、ひらめきが生じる条件や環境が知りたいのかなと思いました。あなたの試案では「ひらめいたと思った瞬間に知らせる」となっているますが、これは「『ひらめきがやってきた』ことを報告する」という方法ですか。それでどうやって「なぜ」に解答を与えますか。
 ひょっとすると、いろいろな条件を変えて、ひらめきの生じやすさが変わるかを見ようとしているのかもしれません。単に、ひらめき数を計量して条件間の差を見るだけであったら、クイズ番組の回答者のように「ピンポン」を押してもらえばいいと思うのですが、ダメですか。「ひらめくことを意識しすぎて自然にひらめくことができなくなってしまうのではないか」との懸念をお持ちですが、そうするとクイズ回答者は「自然にひらめいていない」状況にあることになりますが、そうなのですか。
 それから、何を「デブリーフィング」するのですか。
 もう少し詳しくあなたの考えていることを教えてもらえると、いろいろ一緒に考えることができるのではないとか思います。お願いします。質問は何回でもできます。

221

回答ありがとうございます。先生のご指摘を受け、私が知りたいことを改めて整理してみました。
 私が調べたいのは、「どのような条件でひらめきやすいか」ではなく、「なぜその瞬間にひらめきが生じるのか」、特にひらめく直前の状態や行動です。そのため、ひらめきを誘発しやすい課題を使って、被験者には答えが分かった瞬間にボタンを押してもらい、その後に「突然ひらめいたのか、それとも徐々に答えにたどり着いたのか」を回答してもらうことを考えました。また、問題を解いている様子を録画し、視線や手の動き、考え込む時間など、ひらめきの直前に共通する行動が見られるかも分析できないかと考えました。
「自然にひらめく」ことに関して、実験を通して自然なひらめきを見るのは不可能ではないかと考えました。完全100%自然なひらめきは観測するのは現実的に可能だと思いますか?
 なお、前回の質問でデブリーフィングについて触れましたが、調べ直したところ、この場合には適切な用語ではありませんでした。混乱を招いてしまい申し訳ありません。

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satsukagushinri 2026/07/27 (月) 18:25:55 5adbf@6781b >> 217

 「ひらめき」の前後に生じていることを記述しようとしているのですよね? 「ひらめき」の精緻な記述、ひらめきの現象学のような試みでしょうか。研究対象をじっくり観察して、「たぶん『ひらめき』とはこういうものだ」という仮説を立てることがこの研究の目的になるのかと思います。
 ヴントやその弟子のティチナーの時代にこういうことがやられていたように思いますが、知覚と違って、一瞬に過ぎていくようなひらめきが生じる前後の意識の自己観察はなかなか難しそうです。「問題を解いている様子を録画し、視線や手の動き、考え込む時間など、ひらめきの直前に共通する行動」は、比較的観察が容易だと思います。こちらにしてはどうですか。
 では、課題として何を使うかを次に考えないといけないですね。そのためには原点にもどって、あなたがどういう「ひらめき」を研究したいのかを考える必要があると思います。授業でも問われていましたが、あなたが興味を持っている「ひらめき」とは、何かを「発見」するようなことなのか、何かを「思いつく」ことなのか、何かを「思い出す」ことなのか。それによって課題は異なります。「発見」であれば数学の幾何問題で適切な補助線を発見するようなもの、「思いつく」であれば「なぞなぞ」みたいなもの、「思い出す」であれば「記憶課題」みたいなものが考えられます。
 考えた末、ひらめきがやってくるような課題にして、ひらめき前後に特異的に現れる現象を拾って行ってもいいと思いました。「それがわかって何になるの?」と尋ねられるかもしれませんが、卒論でも修論でもないので、まず出来事を事細かに見てみるのもいいと思います。
 伊藤先生、友野先生からも何かアイデアがほしいところです。
 

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satsukagushinri 2026/07/27 (月) 18:31:07 5adbf@6781b >> 217

アダマールという人の「数学における発明の心理」という本がありますが、こういうことじゃないよなぁ、多分。

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回答ありがとうございます。
 森先生からいただいた意見を元に、問題を解いている様子を録画してひらめきの直前に共通する行動を観察し、「たぶんひらめきはこういうものだ」という仮説を立てることを研究の目的にさせていただきます。
 自分が興味を持ったひらめきは何かを「思いつく」ことです。
自分の考えがだいぶまとまってきました。アイデアを出してくれてありがとうございます。

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satsukagushinri 2026/07/27 (月) 12:53:28 5adbf@e8eac

受講生の皆様

 最終レポートについて、下記のようにいたします。課題をどのように書いていくかについては、また指示をしますのでお待ちください。アイデアを温め、具体化し、また質問をしてください。

 課題: 「あなたの気になることを研究する研究プランを立てなさい」
 提出締め切り: 8月10日(月) 23:59
  レポート作成のための質問期間: 8月2日(日)23:59 まで

219
satsukagushinri 2026/07/27 (月) 13:02:13 5adbf@e8eac

レポート作成のための質問期間には制限がありますが、回数に制限はありません。授業中にできなかった分の対話をしましょう。ただし、早急に対応できるかは保証できないので、早めの質問投稿をお願いできれば幸いです。

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satsukagushinri 2026/08/02 (日) 18:08:40 5adbf@8e5fe

最終レポートの書き方(注意)と見本をmoodleにアップロードしました。よく読んでレポートを書いてください。

最終レポートの提出先は、いつもの投稿と同様、この掲示板です。