26年度専門科目「心理学史」の投稿ページです。
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投稿の締め切りを伝えるのを忘れていました。18日土曜の午前9時です。毎回の締め切りは基本、授業回の次の土曜とします。採点やコメントも、この掲示板での返信として行ないます。
他の受講生の投稿に対して意見や質問も可とします。どの投稿に対する意見や質問なのかがわかるように、ターゲットとする投稿番号が4であれば、 >> 4 のように投稿の冒頭に入れてくれると、そのように表示されます。
あらゆる投稿が採点対象となります。
>> 4 このようにしてください。
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今日の講義は、個人的には面白かったのですが、1年生の皆さんはどうだったのだろう。いろいろ難しい言葉が出てきたけど。
そうっすね。何か面白がれるところがあれば聞かせてほしいですね。もしわからないことが出てきたら授業中に聞いてもらえるように、今後は進行していきましょうか。
この講義にて私はこれまで、学者の人は結構好き勝手に研究しているイメージがありました。しかし、当時の宗教観や政治の影響でいろいろ制限されていたと知って驚きました。他にも、時代観を絡めながら変化していった考え方を知るのはとても面白かったです。 (質問) 精神物理学に関するものでおすすめの本があれば教えていただきたいです。
好き勝手にと言うか、思考の赴くままに研究しているイメージが強いと思いますが、研究の方向や思考の枠組みというのは土着の文化や思考様式、信念に縛られているのですね。現在でも幽霊等のいわゆる超自然現象は「迷信」ということにされますが、200年前電波の存在が知られていない時代にスマホで会話していたら、超自然現象とみなされたでしょう。科学者を含め私たちの思考は時代の制約を受けています。 精神物理学を直接扱った本は現在ではないと思いますが、心理学史関係、あるいは心理学研究法関係の割と古い本であれば精神物理学による研究がどういうものであるかが記されていると思います。あとは精神物理学者と言われる人の名前で調べてみることですかね。ウェーバーとかフェヒナーとか。 3点差し上げます。
そうなんです。科学的認識といっても、常に客観的な真実とはいえないのです。何が真実であるのかは政治が作り出す部分も大きいんですね。最近のトランプ現象などに見られる「ポストトゥルース」ということにも関わってきます。 森先生の3点にさらに2点上乗せします。
基本的なことばかりではなく裏話のような話も聞けて学びになることが多かったです。たくさんの人の名前が出てきて、知っている人もいましたが忘れている人ばかりだったので復習しておこうと思いました。 質問→出てきた人の名前が倫理で出てきたような人ばかりでしたが「倫理」と「心理学」は何か関連がありますか。
通常の授業で「基本」というのは「正統的」(何らかの権威によって認められたもの)であることをしばしば意味します。試験などでは正統的知識が重要ですが(それが「正解」なので)、それは数十年に渡ってようやく「常識」と認められたいわば「古い知識」でもあります。「裏話」は正統的とはみなされずどこかで振るい落とされた知識や、これからどう評価されるかわからないが最先端の話だったりします。その「裏話」が正統になることもあります。学問の最先端は、常にうにゅうにゅと動いているものなのです。 高校で履修する「倫理」は人間の行ないの是非を考察する教科だと思います。人間の本性とか、人間観とかを含めて考えないと是非は論じられないし、そもそも絶対的な是非があるかもわからない。そういう考察をする中で、どうしても「人間とは」という問いを立てざるを得ないので、そういう意味で倫理と心理学は関連するのだと思います。 3点差し上げます。
コメントありがとうございます。 高校の「倫理」の内容には、哲学、心理学、社会学などのトピックが混ざり合っています。それを別々に勉強するのが大学の講義になりますね。 また、「心理学」が独立した学問として成立するのは1879年にヴントが心理学実験室を作った頃とされています。それ以前は「哲学」心理学も社会学も含まれていてまだ独立した分野として成立していませんでした。この授業では、この独立していく過程についてお話ししたわけですね。
森先生の3点にさらに2点上乗せします
投稿ありがとうございました。
投稿するといいことがありますね。
今でこそ進化論は世界に定着していますが、提唱後すぐに比較心理学が確立されていることから、科学的視点において進化論の影響力の大きさを感じます。時期が同じくらいらしいので、もしかしたら動物を愛玩として飼う習慣ができたのも比較心理学の影響があったのかなと考えました。
比較とは、そもそも似ている点があるもの同士に成り立つ作業です。キリスト教の教義上、人間と動物は別々のものなので(多分動物は「モノ」と同じ)、比較することがそもそも不遜ということになるでしょう。せいぜい「神の被造物」程度の比較が成り立つ程度。進化論はそういう御法度を破ったのでしょうね。動物の家畜化は進化論を待たずともなされていたと思いますが、「愛玩」はいつからでしょうね。それにしても、比較心理学の成立と動物を愛玩する習慣が関連していると考えた理由が知りたいと思いました。面白い発想ですが、理由があるともっと説得力が増したと思います。 3点差し上げます。
まだ締め切りまで時間があるので、もし理由を思いついたら再投稿してください。また我々のコメントへの意見も可です。
心理学において進化論の影響は大きかったですね。というか、哲学から心理学や社会学が分離していく過程で進化論の果たした役割が大きかったとも言えるでしょう。ただし、動物をペットとして飼う習慣は、はるか昔からあったようです。「猫」「犬」は猛獣を家畜として飼い慣らしていったもので、「犬」には番犬などの役割があったとはいえ、「猫」は基本的に役に立つ動物ではないので純粋にペットとして飼い慣らされたと言えるでしょう。最近は「家畜化という進化」という視点が流行っています。 3点差し上げます。
なぜメスメルがバケツを用いるまで人気になったのか疑問でしたが、ピネル(1793年)以前の精神病患者の扱いを踏まえ、病院で鎖に繋がれるくらいならスピリチュアルを信じるという人が多かったのではないかと考えました。近くの国では精神病院を見世物のようにしていたので、精神病院に対する嫌悪感は当然にあったのかなと想像します。それならばメスメルにも「病院に行くくらいならとにかく俺を信じろ!」という意図があるのでは!とも考えてみましたが、弟子のピュイゼギュールの行いを見るに、本当にただ発見したメスメリズムを認めて欲しかっただけな気もして少しショックでした。
コメントありがとうございます。なかなか物語性のある解釈、面白いですね。ピネルが精神障害者を解放したも「市民社会」が成立したことで、人権の観念が生まれたからでしょう。ただ、メスメルはむしろ「病気」という観念を作り上げたと言えるので、「悪魔祓いされるなら、俺を信じろ」という感じかと思います。ピュイセギュールはとにかくメスメリズムを後の世に伝えたかったのでしょうね。今日に催眠が伝わっているのはピュイセギュールのおかげかもしれませんね(知らんけど)。5点差し上げます。(修正)
メスメルは元々一人一人しっかり患者を時間をかけて治療してきたのに、効率化のためにバケツに鉄の棒を入れたもので一気に治療し始めて、色々手順とかあると思うけれど急に雑じゃないかと思いました。それでも治ったと感じる人が多くいるんだよなと思うと、思い込みでそこまで変化する人間の体って不思議に感じると同時に興味が出ました。 質問 1.前に村澤先生がおっしゃっていた「ポストトゥルース」は「チ。」のように地動説が出てきたとき、天動説を信じたいから、地動説を検証せずに排除していくという考え方をする時代のこと。みたいな感じですか。 2.今回の授業の催眠に関するもので先生のおすすめの本が何かあれば教えていただきたいです。
コメントありがとうございました。 1)ポストトゥルースについてですが、基本的には発言の真偽よりも、発言の影響力の方が優先される事態のことを言います。アメリカのTのように、確信犯的にデマを流して対立候補のイメージダウンを図るようんこともありますね。日本の政治でもトレンドになっていますが。しかし、怖いのは、SNSやGoogleなどのアルゴリズムが高度化し、初めから自分が知りたい情報以外入ってこなくなり、自分の界隈にったわってくる情報だけが真実であるかのように思い込んでしまうところかと思います・ 2)読みやすいところでは『こっくりさんと千里眼』一柳廣孝にある記述が面白いかも知れません。中井久夫『西欧精神医学背景史』もいいかと思います。 私の論文「19世紀末の「無意識の発見」について」はネットで見れます。https://www.sgu.ac.jp/sgucpc/ruc15l000006day0-att/ruc15l000006db2h.pdf また、私の次回作が出たらお読みください(笑 5点差し上げます。(修正しました)
日本の妖怪の河童は「小さいころに捨てられた子供が川で変色したもの」という説は聞いたことがありましたが、悪魔や狼男などフィクションの題材としてよく描かれているものも心理学の歴史として説明できる存在だということに衝撃を受けました。他にも心理学的に説明できる架空の存在はありますか?特に興味深かったものなどがあれば教えてほしいです。
たくさんありますし、人によって説明の角度も異なりますね。 明治時代の井上円了という学者(東洋大学の創始者)は「妖怪博士」として有名で、さまざまな怪異現象・妖怪などを、科学的・心理学的に説明していました。例えば、人魂は土に埋められた死体が腐敗して放出されたリンが燃えている・・など。 少しあとの、民俗学の始祖、柳田國男は妖怪について科学的な説明は避けましたが、その由来について考察しています。一つ目小僧の由来は、昔、生贄の代わりに新刊の片方の目を潰すという儀式があったことに由来している・・・など。 心理学的な解釈としては、精神分析においては、妖怪などを無意識的な幻想の産物として説明しています。 3点差し上げます。
私は心霊番組や心霊動画など見るのが好きなのですが、ハイズヴィル事件のような話を聞くとやはり幽霊はいないのかなと思ってしまいます。目に見えない電気などが昔は神秘的な力、魔法だと思われていたり、精神的な病は悪魔がついていると思われていたりと、何事も科学的に論理的に捉える前はそういうあいまいなファンタジーな感じで物事を考えていたんだなと思いました。もしかしたら心霊動画でよく見るポルターガイストの仕組みも科学的に解明される時が来るのでしょうか。それともあれらの現象はすべて人間(心霊動画の撮影者など)が糸などで引っ張ったりなどしているいわゆるヤラセというやつなのでしょうか。ウィジャボードについても気になります。私はこっくりさんもウィジャボードもやったことはないのですが、本当に動くのでしょうか。わざと動かしている人がいるのか、それとも絶対動くと思っている人が自分に催眠か暗示かをかけていて、意識せずに動かしているのでしょうか。
心霊現象の真偽については私もわかりません。 考えてみれば「夢」を見ることも不思議な現象ですし、「催眠」などもそうです。誰も「夢」の存在を否定したりしないでしょうし、「催眠」という現象も存在していると思います。精神疾患の人は、天使や悪魔を実際に感じています。 ただし、それらを物理的に確かめられる現象であるかというと、怪しくなります。 物理学的には怪異は存在していないということになりますが、心理的には不思議なことはそこらじゅうに起きていると思います。私も昨日夢を見ました。
授業の中でフロイト、ユング、ジャネの無意識理論だとフロイトの理論が頭抜けて強いというふうに仰られていましたが、その理由が知りたいです(もしくは詳しく書かれている書籍でも大丈夫です)。個人的にはユングの集合的無意識も一理あると感じていて、人類共通の元型は人間と切っても切り離せない本能の派生だと思っています。ここで私が全肯定しないのは、その元型が先天的なものでは無いと感じているからです。元から存在する無意識というより、両親や社会から教わり無意識に根付く後天的なものという感覚でした。
理由は諸説ありますが、フロイトは弟子に恵まれたというのもあるでしょう。また「転移」という概念で、治療理論を整備したこともあると思います。とはいえ、フロイトの無意識理論が正しいというわけでもなく、おっしゃる通りユングの理論にも一理ありますし、ジャネの理論が優れているところもあります。ただ、ユングの理論にある「元型」の概念は、やや単純すぎるところがあると思います。かといって、フロイトの理論も偏っているように思います。最近は、フロイトもユングも、認知行動療法からは「科学的でない」との批判も浴びています。 東畑開人さんの「カウンセリグとな何か」(講談社現代新書)などは、わかりやすいと思います。4点差し上げます。
今回の授業で文化によって特定の症状が流行るということを知り、悪魔憑きだったり、全身が固まってしまうなど、今ではなった人がいるとあまり聞かない症状が昔には多くいたことに対して、とても腑に落ちました。日本でも山姥などの人型の妖怪は、誰かがそういった症状にかかった人を目撃した人が誰かに報告して、最終的に妖怪とされて誕生したりしたのかなと思いました。
妖怪の起源が、精神障害の人々だったかどうかはわかりません。この辺については、民俗学と呼ばれる分野で詳しく研究されています。それによると、子育て幽霊(死んで埋められてから土の中で出産した幽霊)とか、子育て鬼(鬼子母神:自分の子供を育てるために人間の子供をさらって食わせる鬼)の話がベースにあるようです。これは江戸時代には、出産の際に命を落とす女性が多かったことも関係しているようです。また、別の角度になりますが、ユング心理学では山姥は「グレートマザー」という無意識のイメージによって生み出されたと考えるようです。いろんな説がありますので、調べてみると面白いですよ。3点差し上げます。
映画のエクソシストは怖かったです。昔の映画でも怖いものは怖いのですね。ですが映画ではなく現実は、悪魔憑きといわれた人々は精神的な病にかかった人々で、神に祈って悪魔を追い払おうとするような治療をしてもあまり効果はなかった、もしくは悪魔憑きといわれた人たちも自分に悪魔が憑いていると強く信じていて、治療のときに催眠のようなものにかかって自分は治った(悪魔が追い払われた)と思い込んで実際治療の効果があったりしたのですよね。科学主義を経て現代になって病気を生物学的に研究するようになってよかったと本当に思います。今回の講義でヒステリーの症状としてカタレプシーが紹介されましたが、その写真図表を見て驚きました。特にスライドの左の方の写真に驚きました。あれは、体が硬直した後に椅子に乗せたのですよね。どういう仕組みで硬直するのか気になりました。というかなぜ体が固まるのでしょうか?
「エクソシスト」はホラー映画の展開点となった作品ですね。現代のホラーに多大な影響を与えています。催眠にかかって治ったと思ったけれど、それは錯覚だった・・・というのではなく、むしろ近年の治療では催眠や悪魔祓いに類する方法が見直されているところもあります。なぜ体が固まるのか?これは謎ですね。しかし、暗示にかかると身体が超人的な力を発揮することはよくあるのです。これについては次回の話で。 3点差し上げます。
今回の講義ではもの憑きが精神病に変わる流れを学ぶことができてよかったです。狐憑病説のスライドに、この病を狐憑きと信じるのはおおむね婦女子や少年たちであり、ゆえにこの病は大抵婦女子や少年たちに存在するとありますが、どういうことなのでしょうか?なぜ、婦女子や少年たちがそれ以外の人たちより「狐憑き」を信じているのでしょうか?昔は、日本の人々は村などの狭いコミュニティで暮らしていて、例えば何か不幸があった人が村にいたら、村の女性たちや少年たちが「狐憑きだ」と噂話をして盛り上がっていて、ほかの人たちより狐憑きを信じていたというようなことがあるからなのでしょうか。また、私は昔の日本の村や集落にはそういう陰湿な一面があると思っていますがこれは偏見ですか?
コメントありがとうございます。 それは、当時、女性や子供の知的判断能力が低いと考えられていたという意味です。ベルツは判断力が低いので迷信にとらわれやすいと考えていたということですね。実際にそういうことはないとは思うのですが。4点差し上げます。
動物憑依や脳病、透視など現代聞いたらそんなわけないと思いますが、当時の人には存在を疑うような人はいましたか?みんながみんな純粋に信じていたのか不思議に思いました。精神病院法を制定されてとき、精神障害者にとってよくするために制定されたはずなのに、当人の周囲の視点に変えるとかえって迷惑になっていて、何が正しいのかとても難しい問題だなと遺憾しました。
みんながみんな信じていたのではないと思いますが、かなり多くの人が信じていたようですね。当時の説話には、村に巨大な化け物が出て、みんながおののいたが、正体はタヌキの悪戯だったということになりみんな安心した。というのがあります。ここでは、正体が「タヌキ」であったことで納得されていて、科学的な解明は何もなされていないというところが面白いですね。 逆に、現代は何でも科学的に説明されると納得してしまうというのも、変ではないですか? 4点差し上げます。
質問です。精神病と精神遅滞はいつ分けられたのでしょうか。クレペリンが精神病の分類の中で精神遅滞を分けたので、そこで初めて区別されたのかと考えていましたが、少し前にダウン医師が知的障害児のための施設を開設していたので気になりました。知的障害の生物学的原因を発見するのは1900年代以降だと思うのですが、それ以前は複数人の精神病患者を観察した結果ふんわりと違いを見分けられたという感じなのでしょうか。
明確にいつからかとは言えませんが、1900年頃にビネー(ヒステリーの催眠療法のシャルコーの弟子)が知能検査を作ったあたりで、標準的な知能、それから遅れた知能という定義ができたのだろうと思います。「遅滞」という言葉には、発達が遅れているというニュアンスがありますが、これはビネーの影響がありそうですね。5点差し上げます。
今回の講義で私は、呉秀三の精神病を患った人のための法整備、待遇などの考え方の輸入、さまざまな学んだことを使い良い環境を作っていった行動力がとてもすごいと感じました。結果は予算などで環境整備が間に合わないところもあったとありました。しかし、個人的にはまず表立って劣悪な環境をなくすという考え方を取り入れてしまうというのは、そこからの環境を整備するきっかけを作ったと思いました。 質問 神社で眷属とされている狐も人に憑くとされていましたか。それともそこらへんの狐が憑くという認識だったのでしょうか。 お金持ちの家に狐が憑いているとして排除され、没落していった。そのようにありましたが、避けられるのは一家が途絶えるまでですか、それともある程度貧乏になったらまた仲間として受け入れられていたのでしょうか。
呉秀三は確かに偉大な人物だと思います。 憑依するのは「そこら辺の狐」ではなく、霊力を持った魔獣です。いつまで忌避されるかは難しい問題ですが、それは共同体の人々が忘れてしまうまでですね。「我が家は憑きもの筋だ」と名乗るわけではなく、周囲のもたちが「あの家は憑きもの筋だ」と噂するという形で憑きもの筋は実体化するので、誰も噂しなくなれば消えるということですね。5点差し上げます。
今回の講義で、私はゲシュタルト心理学について今までの講義で学んだヴントの要素還元主義やfolk phychorogyの批判としての分野、ゲシュタルト心理学の基盤とは何かを学ぶことができました。特に全体論、能動性について今まで意識してこなかった自分の行動や考え方にもゲシュタルト心理学を元に考えられる法則などが当てはめられているということを知りました。個人的にはゲシュタルト心理学の考え方は現代でひとつの学問として残っていても良いと感じるくらい意識に対する認識として理解しやすいと思います。これらの考え方が現代の学問の中にも散りばめられるような形で残っているのにも納得が行きます。 質問: ヴントはキリスト教の許される範囲での心理学として、要素還元主義などの意識に関する研究を行っていて、それら以外の無意識の分野などを民族(文化)心理学として後世に任せたと言うことですが、もしヴントがキリスト教に忠実ではなかったり、これらの研究にキリスト教の影響がなかった場合、心理学の無意識に対する研究はより早く発展していたのでしょうか?それともそれらの研究の進歩は変わらなかったのでしょうか。
ゲシュタルト心理学が衰退したのは、おそらく、個別の事例は示したが理論を示し得なかったことにあるのではないかと思います。「なんとかの法則」はいっぱいありましたが、それらを統一的に説明できる枠組みは示されませんでした。これを引き継ぐのが、生態心理学のギブソン(いずれやります)ではないかと考えています。 歴史に「たら、れば」は禁物と言われますが、あえて推測すれば、ヴントは要素還元主義に立っていたのでこれと相性のよい、大脳の研究に向かったのではないかと思います。つまり、ヒトをモノとして扱う研究に向かったということですね。これはキリスト教的にはアウトです。そしてもし大脳の研究に向かったとしたら、無意識ではなくむしろ意識に着目したのではないかと推察します。というのは、大脳の活動を我々は意識できません。すなわち大脳の活動は無意識裏に進んでいます。このような無意識的な大脳活動から、意識がどのように生まれるのかに関心が持たれたのではないかと。これは現在の脳研究と同じですね。 6点差し上げます。
今回の授業では、ゲシュタルト心理学の考え方とヴントの要素還元主義との対比を理解することができました。時系列をきちんと把握していなかったので、ヴントは先駆けのようなイメージだっただけに、登場が意外と遅いんだなという印象でした。ゲシュタルト心理学は、直感的でより身近に感じられる分野に感じられて分かりやすかったので、全体論が要素還元主義と対立の関係ではなく、どちらの考え方も取り入れた折衷案のような考えも出せそうだなと思ったのですが、その純粋な研究者はあまりいないという話を聞いて残念でした。 質問)今回学んだ能動性というものとスキーマの存在がかなり近しいものに感じたのですが、関連性や何か明確な違いなどはありますか?
おそらく物理学の発展によるものと思われますが、魂(soul)の知的活動部分(知覚や問題解決)だけを取り出した「精神」(mind)というものを仮構し、刺激の物理的強度の変化と心理的強度や、問題解決の複雑さと解決までの時間の関数関係を探る研究が出てきました。ヴント以前のこの領域は、精神物理学と呼ばれます。代表的な研究者としてグスタフ・フェヒナーが挙げられますが、以前の授業でも申し上げたように、フェヒナーは魂や死後の世界の存在を信じていました。この流れからヴントが心理学を立ち上げるのですね。時代的には19世紀中盤から末の自然科学隆盛期です。 全体論と要素還元主義をどう折衷できるのか知りたいですね。「足して2で割る」という解決は、対立する立場があるとしばしばとられる方途ですが、個人的には一時凌ぎにすぎません。ある視点では全体論が妥当に見え、別の見方をすれば要素還元主義が正しいような、両者を弁証法的に止揚した第三の道が出てくることが期待されます。 スキーマという用語は何人かが使用としていますが、バートレットやピアジェの概念であれば能動性が含まれた概念といえますね。ピアジェの理論では「シェマ」と呼ばれますが、スキーマをフランス語で言っただけです。彼の有名な考え方に、シェマへの同化やシェマの調整がありますが、これは能動性が含まれた考えではないかと思います。バートレットの概念は認知心理学の流れの中で、知識の構造という静的なイメージを持たされてしまいましたが、バートレットはゲシュタルト心理学の影響を受けているので、元来彼の思想には能動性が含まれています。 6点差し上げます。
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今日の講義は、個人的には面白かったのですが、1年生の皆さんはどうだったのだろう。いろいろ難しい言葉が出てきたけど。
そうっすね。何か面白がれるところがあれば聞かせてほしいですね。もしわからないことが出てきたら授業中に聞いてもらえるように、今後は進行していきましょうか。
この講義にて私はこれまで、学者の人は結構好き勝手に研究しているイメージがありました。しかし、当時の宗教観や政治の影響でいろいろ制限されていたと知って驚きました。他にも、時代観を絡めながら変化していった考え方を知るのはとても面白かったです。
(質問)
精神物理学に関するものでおすすめの本があれば教えていただきたいです。
好き勝手にと言うか、思考の赴くままに研究しているイメージが強いと思いますが、研究の方向や思考の枠組みというのは土着の文化や思考様式、信念に縛られているのですね。現在でも幽霊等のいわゆる超自然現象は「迷信」ということにされますが、200年前電波の存在が知られていない時代にスマホで会話していたら、超自然現象とみなされたでしょう。科学者を含め私たちの思考は時代の制約を受けています。
精神物理学を直接扱った本は現在ではないと思いますが、心理学史関係、あるいは心理学研究法関係の割と古い本であれば精神物理学による研究がどういうものであるかが記されていると思います。あとは精神物理学者と言われる人の名前で調べてみることですかね。ウェーバーとかフェヒナーとか。
3点差し上げます。
そうなんです。科学的認識といっても、常に客観的な真実とはいえないのです。何が真実であるのかは政治が作り出す部分も大きいんですね。最近のトランプ現象などに見られる「ポストトゥルース」ということにも関わってきます。
森先生の3点にさらに2点上乗せします。
基本的なことばかりではなく裏話のような話も聞けて学びになることが多かったです。たくさんの人の名前が出てきて、知っている人もいましたが忘れている人ばかりだったので復習しておこうと思いました。
質問→出てきた人の名前が倫理で出てきたような人ばかりでしたが「倫理」と「心理学」は何か関連がありますか。
通常の授業で「基本」というのは「正統的」(何らかの権威によって認められたもの)であることをしばしば意味します。試験などでは正統的知識が重要ですが(それが「正解」なので)、それは数十年に渡ってようやく「常識」と認められたいわば「古い知識」でもあります。「裏話」は正統的とはみなされずどこかで振るい落とされた知識や、これからどう評価されるかわからないが最先端の話だったりします。その「裏話」が正統になることもあります。学問の最先端は、常にうにゅうにゅと動いているものなのです。
高校で履修する「倫理」は人間の行ないの是非を考察する教科だと思います。人間の本性とか、人間観とかを含めて考えないと是非は論じられないし、そもそも絶対的な是非があるかもわからない。そういう考察をする中で、どうしても「人間とは」という問いを立てざるを得ないので、そういう意味で倫理と心理学は関連するのだと思います。
3点差し上げます。
コメントありがとうございます。
高校の「倫理」の内容には、哲学、心理学、社会学などのトピックが混ざり合っています。それを別々に勉強するのが大学の講義になりますね。
また、「心理学」が独立した学問として成立するのは1879年にヴントが心理学実験室を作った頃とされています。それ以前は「哲学」心理学も社会学も含まれていてまだ独立した分野として成立していませんでした。この授業では、この独立していく過程についてお話ししたわけですね。
森先生の3点にさらに2点上乗せします
投稿ありがとうございました。
投稿するといいことがありますね。
今でこそ進化論は世界に定着していますが、提唱後すぐに比較心理学が確立されていることから、科学的視点において進化論の影響力の大きさを感じます。時期が同じくらいらしいので、もしかしたら動物を愛玩として飼う習慣ができたのも比較心理学の影響があったのかなと考えました。
比較とは、そもそも似ている点があるもの同士に成り立つ作業です。キリスト教の教義上、人間と動物は別々のものなので(多分動物は「モノ」と同じ)、比較することがそもそも不遜ということになるでしょう。せいぜい「神の被造物」程度の比較が成り立つ程度。進化論はそういう御法度を破ったのでしょうね。動物の家畜化は進化論を待たずともなされていたと思いますが、「愛玩」はいつからでしょうね。それにしても、比較心理学の成立と動物を愛玩する習慣が関連していると考えた理由が知りたいと思いました。面白い発想ですが、理由があるともっと説得力が増したと思います。
3点差し上げます。
まだ締め切りまで時間があるので、もし理由を思いついたら再投稿してください。また我々のコメントへの意見も可です。
心理学において進化論の影響は大きかったですね。というか、哲学から心理学や社会学が分離していく過程で進化論の果たした役割が大きかったとも言えるでしょう。ただし、動物をペットとして飼う習慣は、はるか昔からあったようです。「猫」「犬」は猛獣を家畜として飼い慣らしていったもので、「犬」には番犬などの役割があったとはいえ、「猫」は基本的に役に立つ動物ではないので純粋にペットとして飼い慣らされたと言えるでしょう。最近は「家畜化という進化」という視点が流行っています。
3点差し上げます。
投稿ありがとうございました。
なぜメスメルがバケツを用いるまで人気になったのか疑問でしたが、ピネル(1793年)以前の精神病患者の扱いを踏まえ、病院で鎖に繋がれるくらいならスピリチュアルを信じるという人が多かったのではないかと考えました。近くの国では精神病院を見世物のようにしていたので、精神病院に対する嫌悪感は当然にあったのかなと想像します。それならばメスメルにも「病院に行くくらいならとにかく俺を信じろ!」という意図があるのでは!とも考えてみましたが、弟子のピュイゼギュールの行いを見るに、本当にただ発見したメスメリズムを認めて欲しかっただけな気もして少しショックでした。
コメントありがとうございます。なかなか物語性のある解釈、面白いですね。ピネルが精神障害者を解放したも「市民社会」が成立したことで、人権の観念が生まれたからでしょう。ただ、メスメルはむしろ「病気」という観念を作り上げたと言えるので、「悪魔祓いされるなら、俺を信じろ」という感じかと思います。ピュイセギュールはとにかくメスメリズムを後の世に伝えたかったのでしょうね。今日に催眠が伝わっているのはピュイセギュールのおかげかもしれませんね(知らんけど)。5点差し上げます。(修正)
メスメルは元々一人一人しっかり患者を時間をかけて治療してきたのに、効率化のためにバケツに鉄の棒を入れたもので一気に治療し始めて、色々手順とかあると思うけれど急に雑じゃないかと思いました。それでも治ったと感じる人が多くいるんだよなと思うと、思い込みでそこまで変化する人間の体って不思議に感じると同時に興味が出ました。
質問
1.前に村澤先生がおっしゃっていた「ポストトゥルース」は「チ。」のように地動説が出てきたとき、天動説を信じたいから、地動説を検証せずに排除していくという考え方をする時代のこと。みたいな感じですか。
2.今回の授業の催眠に関するもので先生のおすすめの本が何かあれば教えていただきたいです。
コメントありがとうございました。
1)ポストトゥルースについてですが、基本的には発言の真偽よりも、発言の影響力の方が優先される事態のことを言います。アメリカのTのように、確信犯的にデマを流して対立候補のイメージダウンを図るようんこともありますね。日本の政治でもトレンドになっていますが。しかし、怖いのは、SNSやGoogleなどのアルゴリズムが高度化し、初めから自分が知りたい情報以外入ってこなくなり、自分の界隈にったわってくる情報だけが真実であるかのように思い込んでしまうところかと思います・
2)読みやすいところでは『こっくりさんと千里眼』一柳廣孝にある記述が面白いかも知れません。中井久夫『西欧精神医学背景史』もいいかと思います。
私の論文「19世紀末の「無意識の発見」について」はネットで見れます。https://www.sgu.ac.jp/sgucpc/ruc15l000006day0-att/ruc15l000006db2h.pdf
また、私の次回作が出たらお読みください(笑
5点差し上げます。(修正しました)
日本の妖怪の河童は「小さいころに捨てられた子供が川で変色したもの」という説は聞いたことがありましたが、悪魔や狼男などフィクションの題材としてよく描かれているものも心理学の歴史として説明できる存在だということに衝撃を受けました。他にも心理学的に説明できる架空の存在はありますか?特に興味深かったものなどがあれば教えてほしいです。
たくさんありますし、人によって説明の角度も異なりますね。
明治時代の井上円了という学者(東洋大学の創始者)は「妖怪博士」として有名で、さまざまな怪異現象・妖怪などを、科学的・心理学的に説明していました。例えば、人魂は土に埋められた死体が腐敗して放出されたリンが燃えている・・など。
少しあとの、民俗学の始祖、柳田國男は妖怪について科学的な説明は避けましたが、その由来について考察しています。一つ目小僧の由来は、昔、生贄の代わりに新刊の片方の目を潰すという儀式があったことに由来している・・・など。
心理学的な解釈としては、精神分析においては、妖怪などを無意識的な幻想の産物として説明しています。
3点差し上げます。
私は心霊番組や心霊動画など見るのが好きなのですが、ハイズヴィル事件のような話を聞くとやはり幽霊はいないのかなと思ってしまいます。目に見えない電気などが昔は神秘的な力、魔法だと思われていたり、精神的な病は悪魔がついていると思われていたりと、何事も科学的に論理的に捉える前はそういうあいまいなファンタジーな感じで物事を考えていたんだなと思いました。もしかしたら心霊動画でよく見るポルターガイストの仕組みも科学的に解明される時が来るのでしょうか。それともあれらの現象はすべて人間(心霊動画の撮影者など)が糸などで引っ張ったりなどしているいわゆるヤラセというやつなのでしょうか。ウィジャボードについても気になります。私はこっくりさんもウィジャボードもやったことはないのですが、本当に動くのでしょうか。わざと動かしている人がいるのか、それとも絶対動くと思っている人が自分に催眠か暗示かをかけていて、意識せずに動かしているのでしょうか。
心霊現象の真偽については私もわかりません。
考えてみれば「夢」を見ることも不思議な現象ですし、「催眠」などもそうです。誰も「夢」の存在を否定したりしないでしょうし、「催眠」という現象も存在していると思います。精神疾患の人は、天使や悪魔を実際に感じています。
ただし、それらを物理的に確かめられる現象であるかというと、怪しくなります。
物理学的には怪異は存在していないということになりますが、心理的には不思議なことはそこらじゅうに起きていると思います。私も昨日夢を見ました。
授業の中でフロイト、ユング、ジャネの無意識理論だとフロイトの理論が頭抜けて強いというふうに仰られていましたが、その理由が知りたいです(もしくは詳しく書かれている書籍でも大丈夫です)。個人的にはユングの集合的無意識も一理あると感じていて、人類共通の元型は人間と切っても切り離せない本能の派生だと思っています。ここで私が全肯定しないのは、その元型が先天的なものでは無いと感じているからです。元から存在する無意識というより、両親や社会から教わり無意識に根付く後天的なものという感覚でした。
理由は諸説ありますが、フロイトは弟子に恵まれたというのもあるでしょう。また「転移」という概念で、治療理論を整備したこともあると思います。とはいえ、フロイトの無意識理論が正しいというわけでもなく、おっしゃる通りユングの理論にも一理ありますし、ジャネの理論が優れているところもあります。ただ、ユングの理論にある「元型」の概念は、やや単純すぎるところがあると思います。かといって、フロイトの理論も偏っているように思います。最近は、フロイトもユングも、認知行動療法からは「科学的でない」との批判も浴びています。
東畑開人さんの「カウンセリグとな何か」(講談社現代新書)などは、わかりやすいと思います。4点差し上げます。
今回の授業で文化によって特定の症状が流行るということを知り、悪魔憑きだったり、全身が固まってしまうなど、今ではなった人がいるとあまり聞かない症状が昔には多くいたことに対して、とても腑に落ちました。日本でも山姥などの人型の妖怪は、誰かがそういった症状にかかった人を目撃した人が誰かに報告して、最終的に妖怪とされて誕生したりしたのかなと思いました。
妖怪の起源が、精神障害の人々だったかどうかはわかりません。この辺については、民俗学と呼ばれる分野で詳しく研究されています。それによると、子育て幽霊(死んで埋められてから土の中で出産した幽霊)とか、子育て鬼(鬼子母神:自分の子供を育てるために人間の子供をさらって食わせる鬼)の話がベースにあるようです。これは江戸時代には、出産の際に命を落とす女性が多かったことも関係しているようです。また、別の角度になりますが、ユング心理学では山姥は「グレートマザー」という無意識のイメージによって生み出されたと考えるようです。いろんな説がありますので、調べてみると面白いですよ。3点差し上げます。
映画のエクソシストは怖かったです。昔の映画でも怖いものは怖いのですね。ですが映画ではなく現実は、悪魔憑きといわれた人々は精神的な病にかかった人々で、神に祈って悪魔を追い払おうとするような治療をしてもあまり効果はなかった、もしくは悪魔憑きといわれた人たちも自分に悪魔が憑いていると強く信じていて、治療のときに催眠のようなものにかかって自分は治った(悪魔が追い払われた)と思い込んで実際治療の効果があったりしたのですよね。科学主義を経て現代になって病気を生物学的に研究するようになってよかったと本当に思います。今回の講義でヒステリーの症状としてカタレプシーが紹介されましたが、その写真図表を見て驚きました。特にスライドの左の方の写真に驚きました。あれは、体が硬直した後に椅子に乗せたのですよね。どういう仕組みで硬直するのか気になりました。というかなぜ体が固まるのでしょうか?
「エクソシスト」はホラー映画の展開点となった作品ですね。現代のホラーに多大な影響を与えています。催眠にかかって治ったと思ったけれど、それは錯覚だった・・・というのではなく、むしろ近年の治療では催眠や悪魔祓いに類する方法が見直されているところもあります。なぜ体が固まるのか?これは謎ですね。しかし、暗示にかかると身体が超人的な力を発揮することはよくあるのです。これについては次回の話で。 3点差し上げます。
今回の講義ではもの憑きが精神病に変わる流れを学ぶことができてよかったです。狐憑病説のスライドに、この病を狐憑きと信じるのはおおむね婦女子や少年たちであり、ゆえにこの病は大抵婦女子や少年たちに存在するとありますが、どういうことなのでしょうか?なぜ、婦女子や少年たちがそれ以外の人たちより「狐憑き」を信じているのでしょうか?昔は、日本の人々は村などの狭いコミュニティで暮らしていて、例えば何か不幸があった人が村にいたら、村の女性たちや少年たちが「狐憑きだ」と噂話をして盛り上がっていて、ほかの人たちより狐憑きを信じていたというようなことがあるからなのでしょうか。また、私は昔の日本の村や集落にはそういう陰湿な一面があると思っていますがこれは偏見ですか?
コメントありがとうございます。
それは、当時、女性や子供の知的判断能力が低いと考えられていたという意味です。ベルツは判断力が低いので迷信にとらわれやすいと考えていたということですね。実際にそういうことはないとは思うのですが。4点差し上げます。
動物憑依や脳病、透視など現代聞いたらそんなわけないと思いますが、当時の人には存在を疑うような人はいましたか?みんながみんな純粋に信じていたのか不思議に思いました。精神病院法を制定されてとき、精神障害者にとってよくするために制定されたはずなのに、当人の周囲の視点に変えるとかえって迷惑になっていて、何が正しいのかとても難しい問題だなと遺憾しました。
みんながみんな信じていたのではないと思いますが、かなり多くの人が信じていたようですね。当時の説話には、村に巨大な化け物が出て、みんながおののいたが、正体はタヌキの悪戯だったということになりみんな安心した。というのがあります。ここでは、正体が「タヌキ」であったことで納得されていて、科学的な解明は何もなされていないというところが面白いですね。
逆に、現代は何でも科学的に説明されると納得してしまうというのも、変ではないですか?
4点差し上げます。
質問です。精神病と精神遅滞はいつ分けられたのでしょうか。クレペリンが精神病の分類の中で精神遅滞を分けたので、そこで初めて区別されたのかと考えていましたが、少し前にダウン医師が知的障害児のための施設を開設していたので気になりました。知的障害の生物学的原因を発見するのは1900年代以降だと思うのですが、それ以前は複数人の精神病患者を観察した結果ふんわりと違いを見分けられたという感じなのでしょうか。
明確にいつからかとは言えませんが、1900年頃にビネー(ヒステリーの催眠療法のシャルコーの弟子)が知能検査を作ったあたりで、標準的な知能、それから遅れた知能という定義ができたのだろうと思います。「遅滞」という言葉には、発達が遅れているというニュアンスがありますが、これはビネーの影響がありそうですね。5点差し上げます。
今回の講義で私は、呉秀三の精神病を患った人のための法整備、待遇などの考え方の輸入、さまざまな学んだことを使い良い環境を作っていった行動力がとてもすごいと感じました。結果は予算などで環境整備が間に合わないところもあったとありました。しかし、個人的にはまず表立って劣悪な環境をなくすという考え方を取り入れてしまうというのは、そこからの環境を整備するきっかけを作ったと思いました。
質問
神社で眷属とされている狐も人に憑くとされていましたか。それともそこらへんの狐が憑くという認識だったのでしょうか。
お金持ちの家に狐が憑いているとして排除され、没落していった。そのようにありましたが、避けられるのは一家が途絶えるまでですか、それともある程度貧乏になったらまた仲間として受け入れられていたのでしょうか。
呉秀三は確かに偉大な人物だと思います。
憑依するのは「そこら辺の狐」ではなく、霊力を持った魔獣です。いつまで忌避されるかは難しい問題ですが、それは共同体の人々が忘れてしまうまでですね。「我が家は憑きもの筋だ」と名乗るわけではなく、周囲のもたちが「あの家は憑きもの筋だ」と噂するという形で憑きもの筋は実体化するので、誰も噂しなくなれば消えるということですね。5点差し上げます。
今回の講義で、私はゲシュタルト心理学について今までの講義で学んだヴントの要素還元主義やfolk phychorogyの批判としての分野、ゲシュタルト心理学の基盤とは何かを学ぶことができました。特に全体論、能動性について今まで意識してこなかった自分の行動や考え方にもゲシュタルト心理学を元に考えられる法則などが当てはめられているということを知りました。個人的にはゲシュタルト心理学の考え方は現代でひとつの学問として残っていても良いと感じるくらい意識に対する認識として理解しやすいと思います。これらの考え方が現代の学問の中にも散りばめられるような形で残っているのにも納得が行きます。
質問: ヴントはキリスト教の許される範囲での心理学として、要素還元主義などの意識に関する研究を行っていて、それら以外の無意識の分野などを民族(文化)心理学として後世に任せたと言うことですが、もしヴントがキリスト教に忠実ではなかったり、これらの研究にキリスト教の影響がなかった場合、心理学の無意識に対する研究はより早く発展していたのでしょうか?それともそれらの研究の進歩は変わらなかったのでしょうか。
ゲシュタルト心理学が衰退したのは、おそらく、個別の事例は示したが理論を示し得なかったことにあるのではないかと思います。「なんとかの法則」はいっぱいありましたが、それらを統一的に説明できる枠組みは示されませんでした。これを引き継ぐのが、生態心理学のギブソン(いずれやります)ではないかと考えています。
歴史に「たら、れば」は禁物と言われますが、あえて推測すれば、ヴントは要素還元主義に立っていたのでこれと相性のよい、大脳の研究に向かったのではないかと思います。つまり、ヒトをモノとして扱う研究に向かったということですね。これはキリスト教的にはアウトです。そしてもし大脳の研究に向かったとしたら、無意識ではなくむしろ意識に着目したのではないかと推察します。というのは、大脳の活動を我々は意識できません。すなわち大脳の活動は無意識裏に進んでいます。このような無意識的な大脳活動から、意識がどのように生まれるのかに関心が持たれたのではないかと。これは現在の脳研究と同じですね。
6点差し上げます。
今回の授業では、ゲシュタルト心理学の考え方とヴントの要素還元主義との対比を理解することができました。時系列をきちんと把握していなかったので、ヴントは先駆けのようなイメージだっただけに、登場が意外と遅いんだなという印象でした。ゲシュタルト心理学は、直感的でより身近に感じられる分野に感じられて分かりやすかったので、全体論が要素還元主義と対立の関係ではなく、どちらの考え方も取り入れた折衷案のような考えも出せそうだなと思ったのですが、その純粋な研究者はあまりいないという話を聞いて残念でした。
質問)今回学んだ能動性というものとスキーマの存在がかなり近しいものに感じたのですが、関連性や何か明確な違いなどはありますか?
おそらく物理学の発展によるものと思われますが、魂(soul)の知的活動部分(知覚や問題解決)だけを取り出した「精神」(mind)というものを仮構し、刺激の物理的強度の変化と心理的強度や、問題解決の複雑さと解決までの時間の関数関係を探る研究が出てきました。ヴント以前のこの領域は、精神物理学と呼ばれます。代表的な研究者としてグスタフ・フェヒナーが挙げられますが、以前の授業でも申し上げたように、フェヒナーは魂や死後の世界の存在を信じていました。この流れからヴントが心理学を立ち上げるのですね。時代的には19世紀中盤から末の自然科学隆盛期です。
全体論と要素還元主義をどう折衷できるのか知りたいですね。「足して2で割る」という解決は、対立する立場があるとしばしばとられる方途ですが、個人的には一時凌ぎにすぎません。ある視点では全体論が妥当に見え、別の見方をすれば要素還元主義が正しいような、両者を弁証法的に止揚した第三の道が出てくることが期待されます。
スキーマという用語は何人かが使用としていますが、バートレットやピアジェの概念であれば能動性が含まれた概念といえますね。ピアジェの理論では「シェマ」と呼ばれますが、スキーマをフランス語で言っただけです。彼の有名な考え方に、シェマへの同化やシェマの調整がありますが、これは能動性が含まれた考えではないかと思います。バートレットの概念は認知心理学の流れの中で、知識の構造という静的なイメージを持たされてしまいましたが、バートレットはゲシュタルト心理学の影響を受けているので、元来彼の思想には能動性が含まれています。
6点差し上げます。
今回の採点対象となる投稿は締め切りました。