26年度心理学部

認知科学概論 / 188

188
F26020 2026/07/12 (日) 20:38:19 bdb3e@52166

今回は先生の実験?から、伝聞は体から遊離した目線から語られる事がおおいとあったが、人から聞いた話
が誇張されたりねじ曲がってしまうのは自分の視点から離れているからだろうか?たとえば、自分は人から話をきいて、それを違う人に話す時たしかにあやふやになってると感じてる。それは自分が主体じゃないからだろう。

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    satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:19 5adbf@f9228 >> 188

     体験と伝聞の差異が、鳥瞰的視点をとるか、虫の目の視点がとれるかという点にあるという話を授業ではしました。体験がある場合、地面に立って移動をしているため虫の目視点での見えが常に体験されています。一方、伝聞体験では、すでに終了した他人の体験を言葉によって聞くだけなので、虫の目視点はとれません。語られた体験とは出来事がすでに終了しているので、ナビゲーションの開始から終了までを同時に(俯瞰して)認識することができます。このため鳥瞰的視点に依存する表現なら可能になります。鳥瞰的地図の作図がその例でした。
     あなたはそのような違いを、「自分の視点から離れているかどうか」と書いてしまっており、鳥瞰的視点と虫の目視点の対比をしているのかわからなくなっている書き方になっています。それ以降のあなたの考察が二種の視点の対比による帰結を論じているのかどうかがわからなくなっているのですね。「人から聞いた話が誇張されたりねじ曲がってしまう」ことや、「あやふやになって」しまうことは、二つの視点の違いから生じる問題だと考えていますか。もしそうであれば、なぜそのように考えられると思いますか。「自分が主体じゃない」のは確かにそうですが、主体かどうかが二つの視点の差異としてより明瞭に規定できたという点が、授業で紹介した実験が示したことでした。
    4点差し上げます。