前回カルガモもしくは virtual カルガモだった訳だし、今回もそれ以外の選択肢はなかろう。
俺は北海道と沖縄以外の日本はほぼ同一に見えてしまうため、3年間海外に行かないと酸欠が激しい。
事態は急を要するが、もうしばらくは辛抱。
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前回カルガモもしくは virtual カルガモだった訳だし、今回もそれ以外の選択肢はなかろう。
俺は北海道と沖縄以外の日本はほぼ同一に見えてしまうため、3年間海外に行かないと酸欠が激しい。
事態は急を要するが、もうしばらくは辛抱。
海外旅行が楽しいと日本国内がどこも同じに見える時期は、私もあった。それは、おそらく、公園や道路、街灯など、公共施設の建造にあたり、国の補助金をもらうためには、規制が厳しく、均一化しているからだろうと思う。
その点、山下公園や、港の見える丘公園は、多少独自性を保っているが、明治に作られたのであろうか。
個人の庭園はあっても、公園と言う発想は、江戸時代の風物詩を見ていると出てこないので、おそらく、明治になってからだと思うが、横浜は、外国人の居留地だった頃、まだ、総務省がガチガチの規制を作る前につくったからだと勝手に思っている。
実際は、日本各地も地形や気候、料理、歴史が色々と違うと言うのは、きちんと勉強しないと差異が理解できず、自分の不勉強を恥じるまでに時間がかかった。それからは、せめて、幕末に佐幕派か新政府軍かだったのかくらいは勉強してから訪れるようにしている。
日本語のアクセントは、テレビの影響か、どこに言っても、あまり変わらない。関西弁もお笑い言語と思えば、エンタメ標準語みたいなものだ。
その点、スペインは、アンダルシアとマドリッドで、あけましておめでとう、と言う時の語尾の発音が違うのが分かり、感動した。イタリアは、ローマから南と北でまるで別の国のようであるが
ドゥオモを中心とした街の造りとcopper stoneの通りは、似ていると言えば、似ている。南部に古代ギリシャの名残があるが、考えて見れば、東京でもその時代の遺跡がないわけではない。
なんで、それらが日本では、観光資産として大切にされないのか不思議である。
夏目漱石とピノキオの原作であるピノキオの冒険の作者カルロ・コッローディは、50年くらいしか年代が違わないのに、フィレンツェでは、観光案内でピノキオが創作された場所が紹介されるが
東京観光で、吾輩は猫であるが書かれた場所や、物語に出てくる喜多床と言う床屋が現在どこにあるかとか(2021年閉店)、案内しないのではないか。
こういうのを欧米人が遊びに来た時に説明しながら案内すると喜んでくれるし、こちらも勉強になる。
ダンテのお墓は、観光地化しているし、アメリカではマーガレットミッチェルやキング牧師、ケネディ大統領と言った結構最近の人物のお墓も観光資源にしているのに、日本では、紫式部や夏目漱石、徳川家康のお墓は、あまり知られていない。新撰組の土方歳三の生家をアメリカ人を案内したことがあるが、ちょっとディープすぎて分かってもらえなかったこともあったなあ。
日本だけでなく同一国内ならそれ程変わらないというのは外国でも似たり寄ったりだと思う。ロンドンに住んでいた時エディンバラに行ってみたら中心部は独特でイングランドにない雰囲気だったけど、そこから一歩外れたら普通のイギリスの住宅街が広がっていた。スコットランドとは言えイギリスの標準規格でインフラ整備が行われているためだと思う。英語のアクセントやパブで供される料理は違うものだったが、異国情緒と言える程ではない。一方、ロンドンからユーロスターでパリに行った際の別天地感はそれに値するものだった。USなら西から東に飛べばそれ位の違いはあるかもね。という事で俺の場合外国に行かない限り違いを感じられないが、いろいろなところへ行き過ぎて感性が麻痺したせいかもしれない。
今BSで『ヨーロッパ秘湯ジャーニー』という番組をやっている。イギリス人のカップルが自分でキッチンや寝室付きに改造したワゴン車でアルバイトで貯めた一日3千円の予算を元に東欧の温泉地を巡っている。その男は「旅に出ていない間は人生が停滞している感じがする」と言っているが、まさにそんな感じ。お、ハンガリーに入った。