海外旅行が楽しいと日本国内がどこも同じに見える時期は、私もあった。それは、おそらく、公園や道路、街灯など、公共施設の建造にあたり、国の補助金をもらうためには、規制が厳しく、均一化しているからだろうと思う。
その点、山下公園や、港の見える丘公園は、多少独自性を保っているが、明治に作られたのであろうか。
個人の庭園はあっても、公園と言う発想は、江戸時代の風物詩を見ていると出てこないので、おそらく、明治になってからだと思うが、横浜は、外国人の居留地だった頃、まだ、総務省がガチガチの規制を作る前につくったからだと勝手に思っている。
実際は、日本各地も地形や気候、料理、歴史が色々と違うと言うのは、きちんと勉強しないと差異が理解できず、自分の不勉強を恥じるまでに時間がかかった。それからは、せめて、幕末に佐幕派か新政府軍かだったのかくらいは勉強してから訪れるようにしている。
日本語のアクセントは、テレビの影響か、どこに言っても、あまり変わらない。関西弁もお笑い言語と思えば、エンタメ標準語みたいなものだ。
その点、スペインは、アンダルシアとマドリッドで、あけましておめでとう、と言う時の語尾の発音が違うのが分かり、感動した。イタリアは、ローマから南と北でまるで別の国のようであるが
ドゥオモを中心とした街の造りとcopper stoneの通りは、似ていると言えば、似ている。南部に古代ギリシャの名残があるが、考えて見れば、東京でもその時代の遺跡がないわけではない。
なんで、それらが日本では、観光資産として大切にされないのか不思議である。
夏目漱石とピノキオの原作であるピノキオの冒険の作者カルロ・コッローディは、50年くらいしか年代が違わないのに、フィレンツェでは、観光案内でピノキオが創作された場所が紹介されるが
東京観光で、吾輩は猫であるが書かれた場所や、物語に出てくる喜多床と言う床屋が現在どこにあるかとか(2021年閉店)、案内しないのではないか。
こういうのを欧米人が遊びに来た時に説明しながら案内すると喜んでくれるし、こちらも勉強になる。
ダンテのお墓は、観光地化しているし、アメリカではマーガレットミッチェルやキング牧師、ケネディ大統領と言った結構最近の人物のお墓も観光資源にしているのに、日本では、紫式部や夏目漱石、徳川家康のお墓は、あまり知られていない。新撰組の土方歳三の生家をアメリカ人を案内したことがあるが、ちょっとディープすぎて分かってもらえなかったこともあったなあ。