>> 9574
こういうところが、昔の一人旅と異なるところだ。VPN接続だとか、WEBインターフェースとか、切替をどうするのか、事前に入念に調べておかないと、普段、スイッチを入れれば接続される環境に慣れてしまっていると私には難しい。
アメリカの話だが、宿をとるにしても、昔は、とにかく電話したり、いきなり車でモーテルの前に乗りつけて空き部屋を探したものだが、現在では、事前にスマホで価格を確認するのであろう。アメリカの場合は、日本のスマホがそのまま街中でも大抵の場合、接続されるし、通話もインターネットも日本国内同士でかけるのと変わらないので、何の苦労もない。ブロードウェイの
アメリカでは、大抵、友人の家に居候するのだが、まず初めに、その家のWIFIのパスワードを聞いて、それを入力すれば使い放題だ。
シチリア島に行った時にホテルのフロント横にあるパソコンを使ったことがあるのと、メキシコやニュージーランドを旅した時に、ネットカフェがあり利用したのを覚えている。昔の話だが、バリのHiltonのビジネスルームのパソコンは、インターネット接続が遅かった。
これらは、海外旅行初級者でも対応できること。
いきなり、砂漠の真ん中でネット接続しないと、その日に泊まる場所すらない、という状況に遭遇したことはない。
話は変わるが、さっき、日本の観光地でレンタカーを運転する外国人観光客が一時停止の標識を無視したことによる交通事故が多いというのをテレビで放送していた。これは、日本の交通標識は、多くの場合、すぐ近くまで、民家等の建物が無秩序に迫っている箇所に設置されていて分かりづらいと言うのがあると思う。アメリカの住宅地を車で走ると分かるが、一時停止の標識が、とにかく大きく、そして、周りに何もないところに設置されているので目立つ。
これは、他の先進国でも同様だと思う。
家があっても、家同士が離れていたり、道路の左右に何もない空間と言うのが、日本で普通に生活していると、あまり出くわさない。一方、国土の広いアメリカは勿論、スペインや、日本と同じくらいの面積のニュージーランドでも、殆ど車がすれ違わない一本道と言うのは、よく目にする。
いつも旅行すると思うのだが、こういう空間にいると、発想が変わる気がする。なにか、日本にいるときより、壮大なことを考え、せせこましい考えを捨てなければ、と思わされるのである。シルクロードの旅などは、観光名所や多種多様な文化を体験するのも素晴らしいと思うが、こう言った空間に出くわすこと自体に価値があると思うことがある。
きっと砂漠の真ん中の一本道で、見渡す限り、自分だけという瞬間もしばしばあったと思う。ウズベキスタンを旅行する個人旅行者たちは、何を思うのであろうか、ブログにでも出ていたら、読んでみたい。
この辺りは知っていれば応用が利くという話で、必須という訳ではない。
旅行ブームになりつつあるウズベキスタンの観光地でさえ8月後半にもなるとホテルはがらがらで、以前のように行き当たりばったりでも泊まれると思う。価格面で事前予約が有利のようだが。
日本の道路事情や日本語標識の問題から、外国人観光客が日本でレンタカーを借りるのは無謀に近い行為だと思う。借りるとしたら必然的にリピーター観光客及び中国人になるだろうが。以前ブルガリアをレンタカー旅行した日本人が標識がキリル文字で読めないと不満を漏らしていたが、キリル文字の地名くらいは読めるようにしておかないと。
そういう醍醐味もあり、再訪したくなる。
そうそう一つ思い出した。トルコのATMでDEBITカードからキャッシングすると手数料を10%取られる。キャッシングする前にGoogle mapでHSBCかHALK BANKのATMを探してそこですれば手数料は2%程度で済む。
前にも書いたが、ジョージアのATMはカードを飲み込んでしまって帰ってこないことがあるので、すぐにカードの停止手続きをとったり、予備のカードを必ず旅行の時には持ち歩くように、とのブログの書き込みがあった。そこまで行かなくても、キャッシングで10%は暴利だな。
海外旅行で地平線を見渡しても一人だけになった瞬間は、よく覚えている。恐らく、日本の混雑した都市では、外出しているときになかなかあり得ないからであろう。
昔、アンダルシアの一本道を友人の車を借りて一人で運転した時、そんな瞬間があったのでよく覚えている。その時、別のスペインの友人に、警察から電話があったので、私が事故を起こしたのではないかと、大いに心配してくれたことがあった。警察からの電話は、間違いがイタズラのどちらかであったのだが。
ニュージーランドで、レンタカーを借りて、走ったときにも、地平線で一人だけになったことは、しばしばあった。
あと覚えているのは、Little White House と言うのが、ジョージア州にあるのだが、これは、フランクリン・ルーズベルト大統領が、第二次世界大戦中、療養もかねて、温泉中の施設で執務を行っていた場所だが、現在は、一般に公開されている。そこに行った時に、連れて行ってくれたアメリカ人2人と合わせて3人だけになった。広大な敷地のなかで、3人だけの観光客だったので、記憶に残っている。
そうそう、メキシコのどこかの街で歩いていたら、変な住宅街に迷い込んでしまったのだが、そこに誰もいなくて不安になったこともあった。不安と言うより怖かったのは、ニューヨークの地下鉄で、ホームの端に向って歩いていたら、自分一人だけになったことがあった。小さな駅で、シーンと静まり返り、ここにナイフや銃を持ったギャングやチンピラが来たらと焦ったのを覚えている。人影の少ない駅だったので、下手にホームの中央に歩くよりも、ジッとしていようと思ったのだが、次の地下鉄が来るまでの時間の長かったこと。