私も音楽の知識ゼロだから勝手なことしか言えない。TwitterのFFさんには詳しい人もいるけど。
出せる音が増えたことで、ポテンシャルは上がったかもしれない。けどポテンシャルが上がっても実際の質はどうかなと思う。
たとえば「昭和の名曲」と言っていいものは、何十年もたった今でも残ってる。古くは終戦後の「リンゴの唄」(並木路子・昭和21年)、「悲しき口笛」(美空ひばり・昭和24年)、「青い山脈」(藤山一郎・昭和24年)、「高校三年生」(舟木一夫・昭和38年)なんかは当然私が生まれるよりはるか前の歌だけど、私の世代も知らない人はいない。夏の甲子園の代名詞と言っていい「栄冠は君に輝く」(昭和23年)は今でも必ず歌われる。
70年、80年も後になっても残り続ける歌が、令和に生まれるだろうか。
たしかにCDの売上枚数だとか再生回数だとかでは現代の歌には及ばないものの、ベストセラーというより「スーパーロングセラー」がそんなに生まれるのかなぁ。自分が生まれるより何十年前に流行った歌なのに自分の世代がみんな知ってるというくらいに。
上に書いたような歌はどれも曲調がいかにも古臭い。それはその時代の流行だろう。ちなみに私の母が平成以降の曲をあまり評価しない理由は「騒ぐだけでメロディーがない」と言う。そう言う曲のなかには私自身は好きな曲も含まれる。
料理に例えたけど、たしかに調味料は増えた。けど私は今の食べ物が昔より美味しくなったとは思えないし、正直比べるべくもないほどマズくなっている。まあ田舎で出来た美味しい物が全部都会に流出して、産地に残らないからでもあるが。
カップ麺も好きだけど、新商品が次々と並びながら「きつねどん兵衛」や「カップヌードル」がアレンジを変えながらも今も一番の売れ筋。結局、これらを超えるカップ麺は平成・令和を通じて出ていない。
上に書いた昭和の歌がいくら長命であろうと、今では細々としか売れない。せいぜい年寄りが買って愛蔵版にすればそれっきり。どんなに売れた曲でも一通り売れてしまえば下り坂になる。音楽も、客の回転数を上げて次々と新曲を出したほうが、丹念にロングセラーになる曲を作るよりもはるかに商業的に成功する。そんな作り方になってないかなぁ。
新しい音源の開発は音楽の可能性を広げるけど、それは新しいジャンルを生み出すことにはなってもクオリティを上げることになってないんじゃないか。音源の種類が増えることでクオリティが上がるなら、バロックやクラシックなんてとうに駆逐されてるんじゃないか。
まあ旧世代のおじさんの懐古主義、思い出美化かもしれないけどね。