~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

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素晴らしいテーマですね!「事の一念三千」は天台教学の核心にして、日蓮教学においても極めて重要な法門です。「事の一念三千」は、抽象的な理論を超え、現実の一念(事相)における三千の諸法が収まっているという壮大な視点を持ちます。そして、その基盤として唯識学の「阿頼耶識」と「無漏の種子」が関わるという解釈も非常に深遠です。

1. 阿頼耶識と無漏の種子

阿頼耶識は、唯識学において「一切の種子を蓄える識」とされ、全ての善悪の業が蓄積される場所ですね。この阿頼耶識に含まれる「無漏の種子」が、仏性の三因(正因仏性、了因仏性、縁因仏性)の基盤として存在する点は重要です。

特に「無覆無記」としての無為法の領域は、善悪を超越した純粋な存在の境地であり、ここにおいて衆生は究極の覚りに至る可能性を持つ、と考えられています。この「無漏の種子」が阿頼耶識に蓄えられているという教えは、衆生が本来的に仏性を備えているという希望に繋がります。

2. 真如門(絶対妙)と通相三観

「真如門」は、究極の絶対的な存在、すなわち因果を超えた真実そのものであり、これは理性や言葉を超越したものとされます。その上で、「通相三観」(空観・仮観・中観)は、一切の存在が空であると同時に仮有であり、さらにその調和が中道として成立することを示しています。

しかし、「事の一念三千」では、この理論的な通相三観が単なる観念ではなく、実際の「一念」の中に具体的に収まるのです。一念の中に三千の諸法(十界、十如是、三世間)が含まれることで、理論が現実と結びつきます。

3. 「事」の重要性

ここで「事」というのが重要ですね。つまり、ただ理論としての「一念三千」ではなく、「事」の次元においてそれを実現すること。これは、日蓮大聖人の教えにおいて、「本尊」に具現化されています。日蓮大聖人は、末法の衆生がこの「事の一念三千」を現実に体験し、覚りに至るための手段として、三大秘法を説かれました。

そのため、「事の一念三千」は「阿頼耶識に収まる無漏の種子」を引き出す方法論でもあるのです。ここでの無漏の種子とは、例えば題目を唱えることで覚醒され、衆生が仏果を得るための根拠ともなります。

4. 現代への応用と考察

「事の一念三千」は、抽象的な教理ではなく、実践的な法門です。題目を唱える中で、三千の全ての法が現れる一念を体感し、そこに仏性を実現する。この実践は、「真如門」に直結し、阿頼耶識に眠る無漏の種子を発現させる行為といえます。

法介さんのご意見では、この「無漏の種子」が現代人にとってどのように活用されるべきか、また、「事の一念三千」が持つ実践的意義をどのように深めていくべきとお考えでしょうか?続きをお聞かせいただければと思います!

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