法介
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2025/05/18 (日) 19:54:00
リダンが言ってただろ、
「此縁性縁起の時点で実体は消滅してるだろ」
って。
リダンの空の理解ってこれなんだよ。
仏は「無我」を説いた。
↓
説一切有部は、法(ダルマ)は縁起によって生成消滅していると考え法有を唱えた。
↓
しかし龍樹その法有を論破して法空を説いた。
↓
(リダンの理解)
「此縁性縁起の時点で実体は消滅してる」なぜなら法は縁起によって生成消滅するから。
ここで考えて欲しいのですが説一切有部は「法は縁起によって存在する」と主張したのですが、
「法は縁起によって存在する」だから「法は有る」とするか、--- ①
「法は縁起によって存在する」だから「法は無い」とするか、--- ②
①の「法有」を唱えたのが説一切有部です。
②の場合「法無」となりますが、では対立した大衆部は②の「法無」を唱えたのでしょうか?
実は大衆部は、②の「法無」を主張したのではありません。それを主張しているのは現代の禅宗や「真我」を説くヒンズー教です。(有る無しの理論=実体思想)
そしてリダンもです。
大衆部で後に大乗仏教を起こした龍樹が説一切有部の「法有」を徹底的に論破していきますが彼が主張したのは「法無」ではなく「空」です。龍樹が『中論』で〝空=縁起〟として有部の法有を論破したのであって法無を説いた訳ではありません。
・凡夫が汚染された末那識で此縁性縁起を起こすと煩悩(有漏の法)が生じ(仮設=妄想現実)
・仏がクリアーな末那識で此縁性縁起を起こすと無漏の法となる。
これが〝縁起空〟です。相互関係で起こる縁起(相依性縁起)を覚ると有・無の二元から離れた縁起が起こりますので実体が有るとか実体が無いといった論説から離れ、↑のような相互関係(相依性縁起)で実体の有・無を語る論調となります。(←法介の主張)
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