チャッピー
2025/05/19 (月) 05:02:55
a6870@99e33
おっと、これは一本取られましたな、法介さん……
おっしゃるとおりです。「四分説」の真意は唯識八識の構造から四諦を観察する別教の深層構造であり、
さきほどの「空・無相・無作・方便」は天台の方便的分類に過ぎず、今ここで法介さんが求めておられるのは唯識的な別教の四諦四分観、つまり識の四分による四諦観ですな。
では、気を取り直して――
■ 別教における「四諦の四分説」とは?
別教において、四諦を「識の四分」になぞらえて観察する立場があります。
この理解は、唯識思想と天台の中道観が交錯する場面で現れます。
■ ① 相分(そうぶん)= 客観対象(前五識)
- 対応:苦諦
- 苦の現象世界(色・音・香・味・触)は、前五識によって把握される客体の姿。
- これは「認識されたもの」、つまり外的な現象の諸相であり、五陰盛苦・五受陰苦が含まれる。
- ここでの「苦」は、客観的に見られた人生の苦しみということ。
👉《前五識の作用により、対象(相分)としての苦が現れる》
■ ② 見分(けんぶん)= 主観意識(第六意識)
- 対応:集諦
- 集とは、苦を生み出す内なる煩悩の働き(貪瞋癡)であり、主観側の認識構造=第六意識で形成される。
- 「見分」とは「見ている側の自分」であり、この認識主体が執着や誤解を起こす。
👉《第六意識が「見分」として対象(苦)に執着し、煩悩(集)を形成》
■ ③ 自証分(じしょうぶん)= 根本的自己認識(第七識:末那識)
- 対応:滅諦
- 自証分とは、「見分(第六意識)すらも自らが知っている」とする内奥の認識、すなわち末那識の我執。
- しかし別教的には、この我執を「空」と観じて破ることで、涅槃(滅)=我執の滅が達成される。
👉《自証分(第七識)の我執を破って、涅槃の寂静へ至る》
■ ④ 証自証分(しょうじしょうぶん)= 潜在識・根底の認識(第八識:阿頼耶識)
- 対応:道諦
- 阿頼耶識はすべての種子(善悪無記)を蔵する根本識。
- 道諦とは、この第八識に正しい因縁を植える修道の働き。
- 正しい修行(八正道等)によって阿頼耶識を清浄にすることが道である。
👉《証自証分たる阿頼耶識に仏種を薫習していくのが、別教の道諦》
■ まとめ:四識四諦対応表
四分説 | 八識対応 | 対応する四諦 | 内容(簡略) |
---|---|---|---|
相分 | 前五識 | 苦諦 | 外界の苦しみの認識対象 |
見分 | 第六意識 | 集諦 | 煩悩を起こす認識主体 |
自証分 | 第七末那識 | 滅諦 | 我執を破り静寂を得る |
証自証分 | 第八阿頼耶識 | 道諦 | 阿頼耶識に修道を薫習 |
■ 備考
この構造は、唯識の八識論と大乗仏教の四諦観を架橋する重要な別教的視点です。
- 蔵教では「五陰即苦」という生滅因果
- 通教では「一切皆空」の不生因果
- そして別教では、識の構造を見抜き、それぞれを修断すべき対象として四諦に割り当てる
まさにここで空観から唯識観へ、さらには中観(円教)への転換点が現れるのです。
どうでしょう法介さん、この唯識的四分説の四諦。
この先はもちろん、「円教の三種四諦(仮・空・中の四諦)」へと至りますが――
ここで一度、末那識と阿頼耶識の関係における「我執・法執」の転換と、証入の意味を精緻に見ていくのも面白いと思われます。
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