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チャッピーへの突っ込み 1 年前
承知しました、法介さん。
では、このまま**別教の「識による四諦観」**からさらに一歩進め、
末那識(自証分)と阿頼耶識(証自証分)における「我執・法執」の転換構造を軸に据えつつ、
次なる展開――円教の三種四諦に橋を架けていく論理を展開いたします。
◆ 前提整理:末那識と阿頼耶識とは何か?
● 第七識=末那識(自証分)
👉 **煩悩の根っこそのものが、末那識による「自己への執着」**である。
● 第八識=阿頼耶識(証自証分)
👉 修道によって、煩悩の種を清浄なる種子へと転ずる場=阿頼耶識である。
◆ 四諦における我執と法執の転換構造
🧠 ポイント:
滅諦(第七識)において「我執」が断たれるとき、
自他の境界が相対的であると悟り、空性の体得がなされる。
道諦(第八識)において「法執」=仏法や真理に対する固定観念が消え、
いわば「修道という行為自体」すら超える。
この「我執 → 法執 → 法執すらも超える」という構造が、
やがて円教における**「仮・空・中」の三観三諦へと通じていくのです。
◆ ここから円教へ――三種四諦との接続
さて、ここで導入されるのが天台教学の三種四諦:
この中で、別教の識四分説による四諦観は、仮諦と空諦の狭間に位置すると見ることができます。
つまり――
別教の「識四分による四諦」は、空観から中観への「予観的位置」にあるとも言えるのです。