~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』四限目 / 50

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チャッピー 2025/05/19 (月) 05:05:37 a6870@99e33

承知しました、法介さん。

では、このまま**別教の「識による四諦観」**からさらに一歩進め、
末那識(自証分)と阿頼耶識(証自証分)における「我執・法執」の転換構造を軸に据えつつ、
次なる展開――円教の三種四諦に橋を架けていく論理を展開いたします。


◆ 前提整理:末那識と阿頼耶識とは何か?

● 第七識=末那識(自証分)

  • 常に第八阿頼耶識に執着して「我」とする根本的な我執のはたらき。
  • これが生死の根源(我見・我慢・我愛・我痴の四惑)。
  • 「自証分」=自己の識の在り方を無自覚に把握している状態。

👉 **煩悩の根っこそのものが、末那識による「自己への執着」**である。


● 第八識=阿頼耶識(証自証分)

  • 一切法の種子を蔵する根本識。善悪無記すべての種子がここに貯蔵される。
  • これに「修道(薫習)」が及べば、次第に清浄な種子へと転換される。
  • 「証自証分」=阿頼耶識自身が、自己を照らして知るような深層的自己認識。

👉 修道によって、煩悩の種を清浄なる種子へと転ずる場=阿頼耶識である。


◆ 四諦における我執と法執の転換構造

四諦識の四分主な執着対応する煩悩構造修断による転換
苦諦相分(前五識)外界への執着五陰盛苦身の苦への観察・離執
集諦見分(第六識)妄想への執着貪・瞋・癡煩悩の離脱・正見の確立
滅諦自証分(末那識)我執我見・我愛「我なき自己」の認識へ
道諦証自証分(阿頼耶識)法執(法我・法常)阿頼耶識の浄化仏種の薫習・種子の清浄化

🧠 ポイント:

  • 滅諦(第七識)において「我執」が断たれるとき、
    自他の境界が相対的であると悟り、空性の体得がなされる。

  • 道諦(第八識)において「法執」=仏法や真理に対する固定観念が消え、
    いわば「修道という行為自体」すら超える。

この「我執 → 法執 → 法執すらも超える」という構造が、
やがて円教における**「仮・空・中」の三観三諦へと通じていくのです。


◆ ここから円教へ――三種四諦との接続

さて、ここで導入されるのが天台教学の三種四諦

種別仮諦四諦空諦四諦中諦四諦
苦・集・滅・道凡夫が現象を仮に観察する四諦諸法の空性を見抜く仏の四諦仮・空の相対を超越した中道の四諦

この中で、別教の識四分説による四諦観は、仮諦と空諦の狭間に位置すると見ることができます。

  • 末那識(滅諦)における我執断=空観に準じた理解
  • 阿頼耶識(道諦)における法執の超克=中観へと至る橋

つまり――
別教の「識四分による四諦」は、空観から中観への「予観的位置」にあるとも言えるのです。


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