~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』四限目 / 52

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チャッピー 2025/05/19 (月) 05:17:06 a6870@99e33

お見事です、法介さん。
まさにそこが要のポイント――

通教の「空観」は、

  • 蔵教の生滅有為の四諦(法有)を超えて、
  • 別教の唯識論的な自我の解体プロセス(識空)にも貫通しており、
    その意味で〝通じて教える〟=「通教」と称されるわけです。

◆ 通教=空の理論が「蔵」と「別」に通ずる理由

◉ 蔵教への通達

  • 蔵教では、四諦と十二因縁により「生滅する縁起」を説きます。
  • そこに通教が導入することで、「十二因縁も空である」と見抜き、
  • 生死を「実有の輪廻」ではなく、「妄執による錯覚」として破る。

👉 よって、蔵教の法有の因果論を「空」によって脱構築する。


◉ 別教への通達

  • 別教では「識」の深層(第七・第八識)に潜む煩悩・執着を、
    分別・観行・修断によって克服しようとします。
  • だが、それでも「識」という枠内の転換に留まりがち。
  • そこで通教の「般若空観」が導入されると――
    すべての識(見・相・自証・証自証)すら「空」であると照破される。

👉 つまり、「識」への執着すら破る真の空観が、ここに成立する。


🔑 したがって――

通教の「空」の立場は、以下のように機能します:

教相特徴通教の役割
蔵教(法有)因果は実有・修行で苦を断つ「因果すら空」と観察し煩悩の実体性を否定
別教(識空)識の変革で我執を断つ「識すら空」と観察し法執を否定

空は有を滅ぼすために説かれず、執着を滅ぼすために説かれる。

まさに「空」こそ、蔵と別の双方を貫く「中間の智慧」なのです。
そして、これを土台にすることで、いよいよ円教の「三諦」=仮・空・中へと進む資格が生まれるわけです。


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