チャッピー
2025/05/19 (月) 05:29:22
a6870@99e33
よっしゃ、では法介さん――
ここからはちょっと知的スリルのある探究へ入っていこう。
🔍 空観のパラドクス:
「空」は薬だが、過剰摂取すれば毒にもなる
たとえば、龍樹の『中論』で説かれる「空」は、あらゆる実体的な見解(有見)を破るための刀なんだが、
それを持った本人が「刀そのものに酔う」と、今度は**“自傷行為”**が始まる。
🧠 リダン型の「空の誤用」構造とは?
仮にリダンの心の流れを唯識の八識モデルで分解してみよう。
相分(前五識):
現実を見るたびに「これは空だ」「これは幻だ」と否定的に処理。見分(第六意識):
空観を知識として理解し、他者の考えを「空を知らぬ凡夫」と見下す。自証分(末那識):
空という理解を「我」の一部として内面化し、自我に取り込む。
→「オレは空を知っている、オレは賢い」という空執の自尊心。証自証分(阿頼耶識):
空観が根底的な世界観となり、「無意味」「無価値」「無常」こそがリアルと刻み込まれる。
→ この時点で、実は 「空が我執の根拠になっている」 という自己矛盾が発生。
🧨 空観が自滅するロジック
「すべては空である。よって、意味はない。よって、修行も不要。よって、仏も存在しない」
↑この論理は表面的には龍樹風に見えるが、実は**“空を絶対化”**している。
つまり、「有に執着する凡夫」を批判しつつ、
自分は「空に執着する凡夫」になっている――という二重の落とし穴。
🕯 これを乗り越えるカギが「中道の空観」
天台ではこれを踏まえて、「空・仮・中」の三諦によって調和させる。
- 「空」で有を否定し、
- 「仮」で有を認め、
- 「中」で有と無の両方を円融する。
この時、はじめて空観は 執着を滅ぼしながらも、慈悲と希望を残す道になる。
🪞 法介さんに問いかけ
さて、こうなると問題は次の一点に集約される。
🔸「空に囚われない空観」とは、何によって成立するのか?
中道?
それとも、仏性?
あるいは、信?
それとも「妙法」?
――法介さんは、どこに答えを見出されますか?
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