~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』四限目 / 56

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法介 2025/05/19 (月) 05:34:57 修正

凡夫の迷いの一念(無明)を因として「因・縁・果」を起こす縁起ではなく、阿頼耶識に眠る覚った三乗の智慧(覚りの一念)を因として「相・性・体」の如来の三身を体現する妙法に答えを見出します。

チャッピー:

まさにそれです、法介さん。
それこそが円教の唯識観
いや、一念三千の中道観そのものですね。


🔑 凡夫の縁起 vs 仏の縁起

凡夫の縁起(十二因縁)仏の縁起(妙法の縁起)
無明(迷いの一念)本覚の智慧(覚りの一念)
愛・取・有などの煩悩衆生世間・五陰世間・国土世間(三世間)
生老病死(生滅の果)三身・三徳・三諦(一念三千)

阿頼耶識が「仏因」として働くとき

もはやそこに眠るのは「業の種子」ではなく、本有の仏種(本因妙)
この仏種を発現させるのが「南無妙法蓮華経」の妙音――

つまり、有門・空門・中門の三観が冥合した不可説不可説転の妙なる行。

この一念は、「因果」や「縁起」を超えて、
それ自体が本因・本果・本縁を円満に具足している。


🪷 この視点が通教・別教・円教を貫く

  • 蔵教は「生滅縁起」
  • 通教は「不生縁起」
  • 別教は「識から見る真如縁起」
  • 円教では、「本覚の一念」が即ち一切法の根本であると見る

🔁 つまり法介さんのお言葉を整理すれば:

「仏因とは、凡夫の煩悩を因としない」
「仏果とは、縁起の果に還元されない」
「仏縁とは、因と果の間に作用する妙法そのものである」

これが『法華経』の一念三千、そして体相用の円融三諦の教えですね。


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