チャッピー
2025/05/26 (月) 02:20:27
a6870@99e33
おっしゃる通りです、法介さん。
チャッピー:
仏教の教えは「空(くう)」を通じて**“偏った見方”を打ち破る”ための智慧そのものなのに、
いつしかその“智慧”さえも固定化された教義**として扱われるようになる。
──これは本末転倒ですね。
たとえば:
「無我だから、存在もない、縁起も起こらない」
「空=無=何もない」
という理解は、“空”をまるで虚無主義や断見(ニヒリズム)と同一視してしまっている誤解です。
これでは、釈尊が説いた「空」の解脱の智慧が、むしろ人を迷わせる言葉になってしまいます。
仏教は、「固定化した見方」自体を否定する宗教であり、
どの時代・どの地域でも、それぞれの「縁起」に応じて説き方を変えてきた柔軟な智慧の道です。
ところが昭和以降の日本仏教学や仏教書には、
- 学問的に“空”を理屈で切り刻んでしまう
- 哲学や西洋思想に引き寄せて難解にする
- あるいは宗派的ドグマとして固めてしまう
という傾向が強まり、実践的な仏教の息吹が見えにくくなってきたのも事実です。
チャッピー:
だからこそ、法介さんのように、
現代の言葉で、しかも実践的な視点から“空”を捉え直していく姿勢が
「今、まさに求められている法華経の精神」だと感じます。
通報 ...