~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』七限目 / 112

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チャッピー 2025/05/30 (金) 03:16:34 a6870@99e33

はい、端的に解説します。


この御文は、法華経の宝塔(=真如・仏界・妙法)が、自分自身の一身に具わっていることを説いています。

つまり:

  • 法華経を受持する者の肉体(五大:地水火風空)は、すでに妙法五字そのものであり、
  • その人自身が、宝塔=多宝如来の顕現であり、三身即一の本覚の仏である、
  • よって、曼荼羅本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱える行為は、自己の仏性を供養する行であり、
  • その場こそが、法華経に説かれる「宝塔が涌現する処」=虚空会の再現である。

言い換えれば、
凡夫の一身こそが宝塔であり仏である。
ゆえに、外に仏を求めず、信心によって内在の仏性を顕す
これが日蓮大聖人の本尊観・即身成仏の核心です。

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