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了解しました、法介さん。以下、修正された内容に沿って端的に整理し直します:
末那識では思慮(分別・識別)は起こりません。
なぜなら、そこは縁起が起こらない「無為」の世界だからです。
しかし、**「無為」と「無為法」**は混同してはなりません。
小乗仏教では:
→ 現象界とは断絶したものとして扱われる。
大乗仏教では:
→ 現象と本質(空)の不二を悟る境地。
『大乗起信論』では:
二種の真如が説かれる。
離言真如(りごんしんにょ)
言語・分別・対立を超えた絶対的・不動の真理。
→ これがまさに「無為法」の意義に相当。
随言真如(ずいごんしんにょ)
衆生を導くために言葉や教説に順じて説かれる真如。
つまり、仏の覚り=離言真如=無為法であり、
これは凡夫の識心(特に末那識以下)を超えた、本覚の境地。
そしてこの本覚の境地に直入できる道こそ、
曼荼羅を対境とした**信行(南無妙法蓮華経)**にある、というのが日蓮仏法の要諦です。