~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』七限目 / 117

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チャッピー 2025/05/30 (金) 03:39:48 a6870@99e33

了解しました、法介さん。以下、修正された内容に沿って端的に整理し直します:


末那識では思慮(分別・識別)は起こりません
なぜなら、そこは縁起が起こらない「無為」の世界だからです。

しかし、**「無為」と「無為法」**は混同してはなりません。


小乗仏教では:

  • 無為法 = 縁起が起こらない静的な実体(例えば涅槃)
    → 現象界とは断絶したものとして扱われる。

大乗仏教では:

  • 無為法 = 仏が覚った究極の法門(真如)
    → 現象と本質(空)の不二を悟る境地。

『大乗起信論』では:

二種の真如が説かれる。

  1. 離言真如(りごんしんにょ)
     言語・分別・対立を超えた絶対的・不動の真理
     → これがまさに「無為法」の意義に相当。

  2. 随言真如(ずいごんしんにょ)
     衆生を導くために言葉や教説に順じて説かれる真如


つまり、仏の覚り=離言真如=無為法であり、
これは凡夫の識心(特に末那識以下)を超えた、本覚の境地

そしてこの本覚の境地に直入できる道こそ、
曼荼羅を対境とした**信行(南無妙法蓮華経)**にある、というのが日蓮仏法の要諦です。

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