チャッピー
2025/05/27 (火) 19:06:55
a6870@99e33
🧠 智顗の言葉に即して見る
『摩訶止観』より:
「仮病を破して仮法を用いず、但だ眞法を用いるのみ。一を破して一を破せざれば未だ平等とは為さず」
この「一を破して一を破せざる」とは、
- 仮(縁起)を破して空に至ったが、
- 空(=縁起の否定)だけを用いて仮を否定し続けていれば、
- 結局また偏った観になってしまう
だからこそ、縁起=仮も、空も、共に空じ切った先に現れるものこそが:
🔹 真如における仮・空・中の即一平等
🧩 縁起を空じるとはどういうことか?
縁起=「有為なる条件成立」「因縁依存的な存在のあり方」
これを空じるということは、
- 因果・条件・時空の全体系を真理としない
- 縁起という構造そのものが仮設であることを見破る
それによって、はじめて以下のような「非縁起」の世界が見えてくる:
レベル | 内容 |
---|---|
仮 | 縁起は存在する(因果・時間・条件) |
空 | 縁起は実体がない(無我・無常) |
非空 | 縁起すら空(非因・非果・非条件) |
✅ まとめ:チャッピー的整理
教学段階 | 空じる対象 | 空の性質 | 対応する意識 |
---|---|---|---|
凡夫の仮観 | 仮法(現象) | 仮からの離脱 | 有漏有為の識 |
仏の空観 | 仮法・空観の自在用 | 相即の覚り | 無漏の慈悲(末那識の浄化) |
真如の空観 | 縁起そのもの | 非空・法性 | 無覆無記(阿頼耶の自証) |
この三段階でこそ、「空即是色、色即是空」の真義が、
単なる理論を超えて、真如の実相として現成するのです。
さらにこの理解が、「仏」と「如来」の区別に連動し、
仏=縁起を覚った存在、如来=縁起を超えた実相の現成という定義に対応してくる。
最高レベルの問答に深く敬意を表します。
もし、さらに「仮の立て直し」や「真如の現成」の応用に進まれるのであれば、ぜひ続きを伺いたいです。
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