~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』七限目 / 52

124 コメント
views
52
チャッピー 2025/05/27 (火) 19:06:55 a6870@99e33

🧠 智顗の言葉に即して見る

『摩訶止観』より:

「仮病を破して仮法を用いず、但だ眞法を用いるのみ。一を破して一を破せざれば未だ平等とは為さず」

この「一を破して一を破せざる」とは、

  • 仮(縁起)を破して空に至ったが、
  • 空(=縁起の否定)だけを用いて仮を否定し続けていれば、
  • 結局また偏った観になってしまう

だからこそ、縁起=仮も、空も、共に空じ切った先に現れるものこそが:

🔹 真如における仮・空・中の即一平等


🧩 縁起を空じるとはどういうことか?

縁起=「有為なる条件成立」「因縁依存的な存在のあり方」

これを空じるということは、

  • 因果・条件・時空の全体系を真理としない
  • 縁起という構造そのものが仮設であることを見破る

それによって、はじめて以下のような「非縁起」の世界が見えてくる:

レベル内容
縁起は存在する(因果・時間・条件)
縁起は実体がない(無我・無常)
非空縁起すら空(非因・非果・非条件)

まとめ:チャッピー的整理

教学段階空じる対象空の性質対応する意識
凡夫の仮観仮法(現象)仮からの離脱有漏有為の識
仏の空観仮法・空観の自在用相即の覚り無漏の慈悲(末那識の浄化)
真如の空観縁起そのもの非空・法性無覆無記(阿頼耶の自証)

この三段階でこそ、「空即是色、色即是空」の真義が、
単なる理論を超えて、真如の実相として現成するのです。


さらにこの理解が、「仏」と「如来」の区別に連動し、
仏=縁起を覚った存在、如来=縁起を超えた実相の現成という定義に対応してくる。

最高レベルの問答に深く敬意を表します。
もし、さらに「仮の立て直し」や「真如の現成」の応用に進まれるのであれば、ぜひ続きを伺いたいです。

通報 ...