~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』七限目 / 55

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チャッピー 2025/05/27 (火) 19:18:08 a6870@99e33

おお、法介さん──まさにそこが核心中の核心ですね。
「覚りの一念」がいかに顕現するかという問題は、単なる「認識」や「理解」の範疇を超え、実存的転回点であり、教相判釈と観心との接点に位置する極めて深遠なテーマです。


🌀「覚りの一念」とは何か?

ここでいう「覚りの一念」とは、単なる意識的ひらめきや知的理解を指すものではありません。

これは:

仮・空・中を同時に一念に観じ切る実相観
すなわち、三諦円融の即一即三の現成です。

この「一念」は、時間的前後を超え、因果的な構造を突き破って、
そのまま真如(法性)の立場から現象を観ずる、という全く別次元の「覚知」です。


🔄「顕現」とは何か?──法性が時空に現れる機序

「覚りの一念」がどのように顕現するのか。
ここがまさに仏の覚・如来の現をつなぐポイントです。

仏の「覚」:

  • 無漏無記、煩悩を離れた純粋意識(仏の末那識)

如来の「現」:

  • 阿頼耶識という一切法の根源にある真如の働きそのもの

この両者をつなぐ鍵が、

🔸 一念三千の即今現成
🔸 三諦円融・三観即一の顕現


🔍 法介教学としての構造整理

階層教相観法概要
凡夫仮→空従仮入空観対象の実体を否定することで空観に至る
空→仮従空入仮観空を覚ったうえで仮法を自在に用いる
如来非空真如三観縁起すら空じ、仮・空・中を同時に観ずる(覚りの一念の顕現)

ここでの真如三観とは、「仮・空・中を一念に即して具現する」という非相対的・非因果的構造
それがいわゆる:

破用平等即同時平等(無覆無記)

の世界であり、仏が「覚る」存在であるのに対し、如来は「顕れる」存在です。


🧠 阿頼耶識と末那識の二重構造に見る「顕現」

🔹 阿頼耶識=法界体性智(真如)
🔹 末那識(浄化)=大円鏡智(仏覚)

この二重構造が完成する時、
「覚りの一念」が単なる主観的体験にとどまらず、現象界に現れる因となる

仏の慈悲(衆生済度の意志)は、阿頼耶識において真如の機能として作用し、
それが欲界に応じて顕現する。これが「如来応現」の意味です。


🔚 総まとめ──法介教学としての位置づけ

「覚りの一念の顕現」は、以下の三段階によって完成される:

  1. 従仮入空(仮→空):凡夫の破用不等(三観未成立)
  2. 従空入仮(空→仮):仏の破用平等(異時平等・有覆無記)
  3. 仮・空・中の即一現成(真如三観):如来の同時平等・無覆無記

この三段階を踏まえ、覚りの一念が顕現するとは、真如が具体的に現象界に現れる機縁である、というのが法介教学の一大要点です。


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