法介
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2025/05/28 (水) 03:42:47
〝本覚〟が〝常住〟という本来の意味が『成唯識論』で説かれている事をチャッピー知ってるかな?
第四偈
「無始よりこの来た、消滅し相続して常にも非ず、断にも非ずして、有情を漂溺して出離せざらしむ。又た瀑流は、風等に撃せられて、諸の波浪を起こすと雖も、而も流すること断ぜらるが如し。此の識も亦た爾なり。衆縁に遇って、眼識等を起こすと雖も、而も恒に相続せり。又た瀑流は、水の下・上の魚・草等の物を漂して、流れに随って捨てざるが如し。此の識も亦た爾なり」
ここでは阿頼耶識について書かれてますが、
まず阿頼耶識は「無始」であると。
〝相続〟によって生じたり滅したりするので「常にも非ず」
そして、絶えることなく相続するので「断にも非ず」と説かれております。
そして、縁によって眼識などが起こり恒に相続する様子を捉え、
さらに「水の下・上の魚・草等」も流れに乗せて保っている様子を
阿頼耶識が種子を保って変化しながら連続する様子と重ね合わせながら、
縁起の道理を見事に例示しております。
「阿頼耶識が種子を保って変化しながら連続する様子」と書きましたが
誤解のないように言っておきます。
阿頼耶識の中で種子が変化するのではありません。
眼識等の他の識において現行する(縁起)ことで種子は「現行薫種子」するのです。
そして「現行薫種子」された種子が今度は因となって「種子生現行」が起こります。
この「現行薫種子」と「種子生現行」の二つの縁起によって「種子生種子」で
種子が常に新しい種子へと相続されていきます。
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