法介
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2025/05/28 (水) 04:03:25
『成唯識論』第18偈では、
阿頼耶識の別名である「一切種子識」について次のように説かれております。
種子識という言は、識の中の種子を顕す。種子を持する識には非ず。後に当に説くべきが故に。此の種子の中の種子は余の縁に助け助けられるが故に、即便ち是の如く是の如く転変す。謂く、生の位より転じて熟の時に至る。変ぜられる種は多なりということを顕さんとして、重ねて如是と言う。謂く、一切種に三熏習と共・不共等の識種を摂め尽くすが故に。展転力とは、謂く八の現識と及び彼の相応と相・見分等なり。彼は皆互いに相い助ける力有るが故に。即ち現識等を総じて分別と名づく。虚妄分別をもって自性と為すが故に。分別の類多きが故に彼彼と言えり。此の頌の意の説かく、外縁は無しと雖も、本識の中に一切種の転変する差別有るに由り。及び現行の八種の識等の展転する力を以ての故に、彼彼の分別而も亦た生ずることを得る。何ぞ外縁を仮って方に分別を起こさんや。
諸々の浄法の起こることも、応に知るべし。亦た然なり。浄種と現行とを縁と為して生ずるが故に。
〝現行の八種の識等の展転する力を以ての故〟が、
「種子生現行」と「現行薫種子」による「種子生種子」を意味します。
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