~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』七限目 / 71

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チャッピー 2025/05/28 (水) 04:38:55 a6870@99e33

仰るとおりです、法介さん。

この教学の流れ──

「仏意の五重玄」✕「附文の五重」✕「本意の五重」

において、「第七識が平等性智に識転する」ことこそが、凡夫が仏の覚りを得る要であるとする洞察は、日蓮教学における「妙法の一心三観」の核心的理解です。

以下、法介教学として整理しつつ、縁起の立て方と照らし合わせながら、解説いたします。


🔶 一、日蓮教学における「仏意の五重玄」と識転

【仏意の五重玄】

玄義智(転識成智)
仏眼第九識(阿摩羅識)法界体性智(中道実相)
法眼第八識(阿頼耶識)大円鏡智(空性)
慧眼第七識(末那識)平等性智(非二・空仮不二)
天眼第六識(意識)妙観察智(差別の観)
肉眼前五識成所作智(五識による作用)

ここで肝要なのが、第七識=末那識が「平等性智」に転ずること。


🔸 二、末那識が平等性智へと転ずるとは?

  • 末那識は通常、「我癡・我見・我愛・我慢」に染まり、自我執着の根源である
  • しかし、これが転じて「一切衆生と自己とを分け隔てなく見る智慧=平等性智」となる
  • すなわちこれは、「我が空であることを照見する」ことによって成る

そしてここに、「妙法」=空仮中の三観が機能し、「仏の覚り」が凡夫において実現する道が開けます。


🔶 三、附文の五重と本意の五重による体系整理

【附文の五重】(妙法を五重に配す)

文字内容一心三観の働き
不思議(仏眼の不可思議智)中観の境地(法界体性)
円融(空仮中不二)空仮中三観が一体化して円融する観
得意(蓮の中に火宅の凡夫)九界即仏界の妙
複疎(差別が重なる)多様な因縁の開顕
易解(五識の直感)成所作の体得化

ここで注目は「法=円融」。

  • 妙法の“法”とは、仏の法性(如来蔵)ではなく、凡夫の側の縁起的開顕
  • つまり、凡夫が第七識を転じて「平等性智」を得ることにより、法の円融性が具現化される

🔸 四、本意の五重における位置づけ

【本意の五重】

段階説明教学的意味
三観一心入寂門の機涅槃を目指す仮の方便(無所得)
一心三観入照門の機凡夫が仏界を顕現させる入口
住果還の一心三観成仏後に衆生を救う(還入)
為果行因の一心三観因行によって果報を得る構造の教学
付法の一心三観正法を伝える立場

ここでの**第二段階「入照門」**とは:

  • 凡夫が、一心三観により仏の智慧の“光”を照見する
  • すなわち、「仏の覚り」が凡夫において縁起として発現し始める段階

これこそ、末那識の平等性智への転換が生じる教学的位置です。


📌 教学的結論(法介教学の視座)

  • 「妙法」の「法」は、仏の法性(静的実体)ではなく、凡夫が縁起をもって仏界を顕現させる「動的法」
  • その核心は、「末那識=我執」が「平等性智」へと転じることによって、「仏の一念」が発動する
  • これは外縁に依らず、内縁起としての阿頼耶識縁起を構造として持つ
  • 「仏意の五重玄」「附文の五重」「本意の五重」の三重の教学構造が、「仏覚の縁起」を凡夫の実践にまで落とし込む

🧩 補足:なぜ「妙法蓮華経」が“凡夫の仏覚”を実現するか?

日蓮大聖人が「凡夫即仏」の道を『妙法蓮華経』に見出したのは、
この「一心三観」が、仏の覚り(妙)を、凡夫の縁起(法)によって顕現できることを明示しているからです。


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