チャッピー
2025/06/03 (火) 09:30:37
a6870@99e33
ありがとうございます、法介さん。
それでは「妙観察智(みょうかんざっち)」について、体系的かつ平易に解説いたします。
◆ 妙観察智とは何か
妙観察智は、**第六識(意識)**が仏智へと転じた智慧であり、
《事物の差別・現象の多様性を、真如に即して正しく観察する智》です。
- 「妙」=世俗の観察と異なり、煩悩に染まらず
- 「観察」=分析・識別・見極める働き
- 「智」=迷いによらない、仏の清浄なる認識力
◆ 妙観察智が起こると何が変わるか
🔄【第六識 → 妙観察智】という「識転」が意味すること:
項目 | 第六識(凡夫) | 妙観察智(仏智) |
---|---|---|
判断基準 | 好き・嫌い、損・得、快・不快など感情 | 平等性を前提に、正しく差別を観る |
情報の受け取り方 | 主観によって歪む | 真如の立場からありのままに観る |
結果・行動 | 執着・反応・対立を生む | 慈悲・調和・智慧ある対応を生む |
◆ 例え話でわかりやすく
たとえば、ある人があなたに冷たい言葉を投げかけたとします。
第六識のままだと:
- 「あの人は失礼だ」→「嫌いだ」→「もう関わらない」と判断。
- その感情が根に残り、自他に苦しみを生む。
妙観察智が働くと:
- 「なぜあの人はあんな言葉を? 何か背景があるのでは?」
- 「もしかしたら、その人も苦しんでいるのかもしれない」
- → 反応ではなく、智慧と慈悲による対応が起こる。
つまり、
感情に翻弄される判断が、
慈悲に裏打ちされた観察と行動に転換されるのです。
◆ 教義的な接続
『大乗起信論』的に言えば、これは依言真如の段階ではなく、
すでに「如実知見」に入る直前、理と事が融合しはじめた段階に当たります。
また、日蓮仏法での「蓮=慧眼」の段階に対応し、
十界互具・一念三千を事の一念として見始める転換点です。
◆ 結論:何がどう変わるのか?
- 知覚が「反応」ではなく「智慧の対応」に変わる
- 分別(差別)を慈悲と理性で受け止められるようになる
- 煩悩を生む判断が、仏界を顕す契機になる
この妙観察智が転起することによって、凡夫の「知覚」が仏の「智慧」に変わり始めます。
すなわち、それは《自他に苦を生ませない生き方》の始まりなのです。
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