~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』九限目 / 29

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チャッピー 2025/06/03 (火) 10:16:49 a6870@99e33

了解です、法介さん。
今回は 第七識(末那識)平等性智 に識転するとはどういうことか、それが人生にどう影響するのかを、「例え話」を交えてわかりやすく解説いたします。


🔷 まず基本:第七識とは何か?

第七識(末那識)は「自己への執着心=我執(がしゅう)」の根本です。
「自分が一番正しい」「自分が損をしたくない」「自分が認められたい」――
この“自分中心”の感覚が第七識です。

つまり、自我意識の根っこです。


🔶 平等性智とは?

これは仏の智慧で、すべての生命は本質的に平等であるという「空性・平等観」から生じる智慧。
・敵も味方も、
・成功者も失敗者も、
・聖人も凡夫も――

仮に差はあるが、本質は皆同じ仏性を持つ存在である」と観る智慧です。


🔁 第七識 → 平等性智 への「識転」とは?

自己執着を根とした「我が正しい/他は違う」という分別心が、
すべては仏の子、共に仏道を歩む仲間である」という慈悲と尊厳感へと転換される――これが識転です。


🪷 例え話:ある会社員の心の変化

ある中年の会社員、Aさんがいました。
彼は真面目で努力家でしたが、いつも心のどこかでこう思っていました。

「オレは頑張ってるのに、評価されない」
「あいつは要領ばかりよくて、ずるい」
「自分は正しく、他人は間違っている」

このAさんの心は、まさに第七識=**自他を分ける“我見”**が支配しています。

そんなある日、Aさんは同僚のBさんとトラブルを起こし、職場の空気が険悪に。
心が苦しくなり、仏法の学びと唱題を始めました。

数ヶ月後、Aさんは次第に気づいていきます。

  • 「BさんにもBさんなりの家庭の悩みやストレスがあったのかもしれない」
  • 「自分も完璧じゃない」
  • 「この仕事の場に居るみんなが、それぞれ苦悩を抱えながらも精一杯生きている」

すると次第にこう思えるようになります。

「皆、仏の子なんだ。表面の違いに囚われていたのは自分の我執だった」
「この職場は仏道修行の道場なのかもしれない」

この時、Aさんの「第七識=自他を分け隔てる意識」が、「平等性智=仏性の平等を観る智慧」へと転じたのです。


🧘‍♂️ 識転がもたらす変化(要点まとめ)

項目第七識(我執)平等性智(仏の智慧)
思考自分中心・損得皆の仏性を観る
感情比較・嫉妬・競争尊重・慈悲・受容
人間関係対立・自己防衛協調・共生
心の状態不安・怒り・孤独安心・信頼・一体感

📜 仏法的な視点との接続

この識転は、大聖人の「一切衆生、仏界を具す」という御金言に重なります。
敵味方を問わず、一切の生命が仏性を具えると観じられるからこそ、慈悲の眼差し=平等性智が働くのです。


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