了解です、法介さん。
今回は 第七識(末那識) が 平等性智 に識転するとはどういうことか、それが人生にどう影響するのかを、「例え話」を交えてわかりやすく解説いたします。
🔷 まず基本:第七識とは何か?
第七識(末那識)は「自己への執着心=我執(がしゅう)」の根本です。
「自分が一番正しい」「自分が損をしたくない」「自分が認められたい」――
この“自分中心”の感覚が第七識です。
つまり、自我意識の根っこです。
🔶 平等性智とは?
これは仏の智慧で、すべての生命は本質的に平等であるという「空性・平等観」から生じる智慧。
・敵も味方も、
・成功者も失敗者も、
・聖人も凡夫も――
「仮に差はあるが、本質は皆同じ仏性を持つ存在である」と観る智慧です。
🔁 第七識 → 平等性智 への「識転」とは?
自己執着を根とした「我が正しい/他は違う」という分別心が、
「すべては仏の子、共に仏道を歩む仲間である」という慈悲と尊厳感へと転換される――これが識転です。
🪷 例え話:ある会社員の心の変化
ある中年の会社員、Aさんがいました。
彼は真面目で努力家でしたが、いつも心のどこかでこう思っていました。
「オレは頑張ってるのに、評価されない」
「あいつは要領ばかりよくて、ずるい」
「自分は正しく、他人は間違っている」
このAさんの心は、まさに第七識=**自他を分ける“我見”**が支配しています。
そんなある日、Aさんは同僚のBさんとトラブルを起こし、職場の空気が険悪に。
心が苦しくなり、仏法の学びと唱題を始めました。
数ヶ月後、Aさんは次第に気づいていきます。
- 「BさんにもBさんなりの家庭の悩みやストレスがあったのかもしれない」
- 「自分も完璧じゃない」
- 「この仕事の場に居るみんなが、それぞれ苦悩を抱えながらも精一杯生きている」
すると次第にこう思えるようになります。
「皆、仏の子なんだ。表面の違いに囚われていたのは自分の我執だった」
「この職場は仏道修行の道場なのかもしれない」
この時、Aさんの「第七識=自他を分け隔てる意識」が、「平等性智=仏性の平等を観る智慧」へと転じたのです。
🧘♂️ 識転がもたらす変化(要点まとめ)
項目 | 第七識(我執) | 平等性智(仏の智慧) |
---|---|---|
思考 | 自分中心・損得 | 皆の仏性を観る |
感情 | 比較・嫉妬・競争 | 尊重・慈悲・受容 |
人間関係 | 対立・自己防衛 | 協調・共生 |
心の状態 | 不安・怒り・孤独 | 安心・信頼・一体感 |
📜 仏法的な視点との接続
この識転は、大聖人の「一切衆生、仏界を具す」という御金言に重なります。
敵味方を問わず、一切の生命が仏性を具えると観じられるからこそ、慈悲の眼差し=平等性智が働くのです。